【国内】帰着しました。添乗員レポート
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2021年04月13日
【帰着レポート】三春の滝桜と白石川の一目千本桜 福島・宮城 春景色
2021年4月11日(日)~4月13日(火) 3日間 東京支店 相澤 満弘
<4/11発・添乗員:東京支店 相澤 満弘>
日本各所で例年にない早さで桜が開花した2021年、春。私は、樹齢千年を超えるとされる日本三大桜のひとつ「三春の滝桜」を目当てに、福島を旅して参りました。
出発の10日ほど前には満開を迎えたと報せを受けていましたが、私たちが三春を訪ねる4月12日までしっかり持ちこたえてくれていました。天気にも恵まれて、快晴の青空の下に咲く桜の淡いピンクと菜の花の鮮やかな黄色の美しいコントラストで迎えてくれました。
今回の旅では、桜の名所であるだけでなく、歴史的にも興味深い会津若松や白石も訪問しました。
会津若松に始まり、宮城南部・白石まで
戊辰戦争、白虎隊、新選組―。江戸末期の激動を見つめてきた会津若松から、今回の旅は始まりました。
幕末、ペリー率いる黒船来航により徳川幕府と薩摩・長州藩が対立すると、不穏な京都の治安を回復させるため「京都守護職」が設置され、会津藩に白羽の矢が立ちました。第九代藩主 松平容保(かたもり)公はこれを固辞しましたが、幕府に強引に押し付けられました。
幕府軍が敗走した慶長4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いを発端とし、江戸の無血開城の後、新政府軍の標的は会津藩に向けられました。そして同年8月から1か月にわたって新政府軍は鶴ヶ城を攻め入り、会津各地で戦いが繰り広げられたのです。
現在私たちが目にする鶴ヶ城は1965年になって再建されたものですが、戊辰戦争でも落ちなかった難攻不落の名城として知られています。現在目にする桜の木は、戊辰戦争後に植樹されたもので、戦争における悲劇を越えて復興する会津の町を象徴するかのようでした。
福島県では、もうひとつ戊辰戦争で激しい攻防の地となった霞ヶ城も訪問しました。二本松少年隊の戦死の悲話を残して落城した城址は、現在はその面影を石垣と復元した箕輪門に残すのみですが、山腹には地形を生かした庭園が整備されています。
旅の最後は、宮城南部にある白石城へ。仙台藩の家臣・片倉家の居城であった白石城は、1995年に天守閣と大手一の門、二の門が復元されています。白石城の最大の特徴は、日本古来の城郭建築様式に基づいた木造復元をおこなったことにあり、その規模は日本で類を見ません。また、木造天守閣の復元は、日本初の事業でもありました。
実際に中を訪ねてみると、吉野檜の大柱、青森ヒバ、松、赤杉とすべて国産材が使用されており、博物館的な展示物はほとんどありません。しかし、その分往時の城の在り様をそのままに感じることができました。
福島・宮城の春景色を堪能しました
福島と宮城の春景色を訪ねる旅でしたので、各地の桜の名所も歩きました。桜は長くとも2週間ほどで花期を終える儚いものですが、今回の旅では満開の桜から散り始まりの頃、葉桜が花吹雪を舞わせるものと、見る場所でいろいろな「花見」を楽しむことができました。 各所の桜の様子を、私が撮影した写真でお伝えします。
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