歴史ある風景
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2021年08月17日
信州・小布施 なぜ、栗で、なぜ、北斎なのか?
本社 プランニング事業本部:乗田憲一
長野市の近く小布施は人気の観光地で、風情ある町並みもさることながら、何より栗菓子で知られます。小布施堂や桜井甘精堂と言えば、ご存じの方も多いかもしれません。生産量は国内の僅か3.6%(1位は茨城26.7%、2位は熊本15.6%)でしかないのに全国区で「栗の町」として知られるのには理由があります。
江戸時代、各藩から将軍家へ様々な献上物が贈られていました。「江戸三大果」というものがあって、紀州みかん、甲州ぶどう、最後のひとつが小布施の栗だったのです。現在の小布施の地図を見ると平坦で山は東側だけ、西に千曲川、町の南外れに松川が流れています。元々小布施は、松川が長い年月に氾濫を繰り返すことで「扇状地」として形成された地。この氾濫に悩まされた住民は町の南東部に堤防をつくり、南側へ流域を変え、千曲川へ注がせることで、大きく発展します。松川を流れる水は酸性が強く、米を育てるには不向き。そこで栗を選択。この味が評判となり、「献上栗」として全国に知れ渡ったのです。小布施堂をはじめとする多くの栗菓子屋も生まれました。
栗から始まる経済発展により、街道整備で全国とつながり、六斎市という北信最大のマーケットも誕生しました。そして多くの豪商・豪農が生まれました。街道・マーケットを通じた交流は物流だけでなく、人・情報・文化も運び、その結節点である小布施では高度な文化が育まれました。幕末の豪商、高井鴻山もその一人。彼の招きで葛飾北斎は小布施に来たことで、晩年の傑作として世界的に評価も高い「八方睨み鳳凰図」や「龍図」「鳳凰図」「男浪図」「女浪図」なども生まれたのです。
小布施の住民が苦しみの中で生み出した「栗」ひとつで、全国の経済を動かし、日本を代表する巨匠を呼び込み、未来へ残る傑作を生みだした。素敵な物語だな、と個人的には思います。つい先日、小布施の町を訪ねた時、そうした想いを抱きつつ、小布施堂の名物モンブランをいただくと、今度は洋菓子へと発展を遂げ、世界ともつながっているな、などと大げさに思ったりしてしまいました。
ちなみに、みかんやぶどうは、生産量も紀州(和歌山)、甲州(山梨)が今もトップ。もしかするとそれだけ、小布施の栗の味は将軍家を唸らせるものだったのかもしれませんね。
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