歴史ある風景
歴史ある風景
2021年03月02日
家康はなぜ彦根を選んだのか?
本社 プランニング事業本部:乗田憲一
琵琶湖畔を代表する観光地、彦根城。湖を見下ろす、その天守閣は貴重な歴史遺産です。徳川家康自慢の難攻不落の城だけに登るのが大変で、観光客泣かせで私も毎回苦労します。
琵琶湖は京都に隣接し、街道と水運ネットワークの中心で天下統一を狙う戦国大名にとって最重要の場所。織田信長は湖南に明智光秀の坂本城、湖北に秀吉の長浜城、湖西に大溝城、そして近江八幡に自らの安土城を置き、琵琶湖経済圏を完成させました。
その後、天下統一を果たした家康にとって江戸と京を繋ぐネットワークの確立は最重要の課題です。特に琵琶湖は2つの主要街道が交わる場所。それで東海道が走る南岸に膳所城、中山道が通る東岸に彦根城を配置します。
これだけでも十分すごいですが、私が家康をすごいと思うのは彦根の立地です。従来この地は湿地帯でした。だから信長・秀吉時代は2㎞ほど東の佐和山城が拠点、でも中山道の守りには良いが琵琶湖の水運を考えると不適。それで信長は長浜を抑えたのです。家康は、湿地帯の原因だった幾筋の川を南側にまとめ平行に引いて南の防御とし、土地を開発、城下町をつくりました。また江戸時代、彦根の北側には内湖があり、これが琵琶湖と繋がっていました。これは防御にもなり、水運にもなる、一石二鳥です。東には鈴鹿山脈、西には琵琶湖と鉄壁の防御です。よく考えてみると江戸も湿地帯。それを日本一の都市に作り変えました。限られた条件下で最善の道を拓く。見習いたいものです。
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