【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2021年09月30日

街道をゆく 中山道六十九次の旅

2021年9月25日~10月1日 7日間 添乗員:東京支店 岩田尚之

<9/25発 添乗員:東京支店 岩田尚之>

 山間部では秋の気配も感じはじめた折、街道をゆくシリーズ第二弾として、ワールド航空でも人気のコースとなった中山道六十九次の旅に添乗してまいりました。暑さも和らぎ、散策するには絶好の季節で、通常期ならば外国人や日本人観光客のごった返す訪問地も、訪問当時はいまだ静けさが残り、町本来の姿をしっかりをご案内することができました。
 今回は、旅の前半部分(日本橋~奈良井宿)までの3日間についてレポートいたします。後半部分については、10/30発の同ツアーで添乗員中屋がご案内していますので、こちらのリンクからあわせてご覧ください。

重伝建に登録されている奈良井宿。まるで時間が止まったかのような町並みです。奈良井宿をはじめ、木曽路にはこのような変わらぬ宿場町の雰囲気を残す取り組みが全国に先駆けて行われてきました。

通り過ぎることの多い関東の宿場町をしっかりと探訪しました。

 日本橋を起点に中山道はスタートします。一般的に中山道の見どころとなっているのが通称「木曽路」と呼ばれ、景観が保存された山間に佇む宿場11宿が多く、関東近郊の宿場町は通り過ぎることが多いのです。しかし、この旅では(全てとはいきませんが)江戸に入る前の主要となった宿場町をご案内しました。お客様からも「近くに住んでいるのにこんな場所があったとは知らなかった」とのお声もいただき、これぞ線で旅をする街道旅ならではの醍醐味だと感じました。

蕨宿には本陣もあり、荒川の川止めもあったことから、69次の中でも5本の指に入る大宿場町として発展してきました。
蕨宿は江戸から2つ目の宿場町です。旧街道沿いのマンホールは、中山道にちなんだデザインになっていました。
嘉永7年(1854年)7月創業の老舗茶屋。日米和親条約の4か月後に創業。桶川宿には、このような旧家が点在しています。
桶川宿は江戸から6番目の宿場町。紅花の一大集積地であった桶川は最上に次いで全国第二位の規模を誇っていました。
「中の家」(なかんち)で生まれ育った渋沢栄一。深谷の中でも豪農一家で養蚕や製藍も営んでいました。
アンドロイドの渋沢栄一が私たちをお出迎えしてくれます。
第一銀行の初代頭取を務めた渋沢栄一の喜寿を祝い、行員たちが出資して建てました。本来は世田谷区瀬田にあったものが、取り壊しの話になり、深谷市が買い取り移築させました。
深谷宿は江戸から9番目の宿場町です。

旅はいよいよ山路へと進んでいきます。

 群馬県内の宿場町をいくつかご案内しながら、旅路はいよいよ長野県へ。山路へと進んでいきます。中山道を起点として、多くの脇街道(脇往還)が作られました。その中のひとつが、追分宿と分岐する北国街道です。新潟県上越市と軽井沢を結ぶ国道18号線に相当するこの街道は、善光寺への参拝ルートとして、佐渡金山が発掘されるようになると、江戸までの物資の輸送路として使われ、五街道に次ぐ重要な幹線道路となっていきました。
 長野県に入ってからは、難所の和田峠をはじめ、標高の高い険しい山間部の道を進むことになるので、宿場町の数も増え、休憩所が多く設けられました。こうした休憩所の多さと川止めなどの大幅なタイムロスが少ないということから、皇女和宮が降嫁する際に、東海道ではなく、中山道を選ばれたと言われています。

江戸から15番目の宿場町安中宿では、武家屋敷が残ります。また、同志社大学の創始者である新島襄の出生地でもあります。
江戸から20番目の追分宿。名の由来である北国街道と中山道との分岐点があります。
江戸から23番目の塩名田宿で昼食です。創業100年を超える老舗「竹廻家」にて名物の川魚料理をお楽しみいただきました。目の前には千曲川が流れます。
千曲川で取れた川魚を中心に提供され、代々続く家族経営の料理屋です。
江戸から28番目の和田宿。最大の難所和田峠の入り口にあたります。この地ですでに標高820mあり、涼やかな中の散策となりました。
和田宿の本陣跡です。大火で焼失してしまいましたが、数か月後に皇女和宮の降嫁で立ち寄ることが決まっていた為、大急ぎで再建されたものが今に残ります。

日本神話ゆかりの地諏訪大社を訪ね、いよいよ木曽路へと入って行きます。

 3日目は、諏訪湖周辺にある4つの諏訪大社を巡りました。諏訪大社は全国25000社ある諏訪神社の総本山で、日本神話にも登場する武神の建御名方神(たけみなかたのかみ)を主神として祀っていることから、古くから坂上田村麻呂、源頼朝、武田信玄、徳川家康など名だたる武将が崇めてきた神社です。
 4社のうちの1つである諏訪大社の下社秋宮には、中山道の下諏訪宿が門前町として置かれ、特に賑わいを見せていました。さらに、江戸を起点に八王子・山梨を通過してきた甲州街道との合流地点もあり合流地点の石碑も置かれています。
 ほかにも、北の防衛拠点として機能した贄川宿の関所跡や木曽漆器の一大生産地である平沢、大きな宿場町を形成していた奈良井宿などを散策し、いよいよ木曽路に入ってきたことを実感します。

7年に1度開催される御柱祭で運ばれた御柱が鎮座しています。祭りは来年2022年が開催年。無事に開催されることを願って参拝しました。
江戸から29番目の下諏訪宿は、甲州街道の終着点でもあります。
江戸から33番目の贄川宿。日本三大関所の福島関の副関として、木曽路の北の防衛拠点として発展してきました。1976年に復元された関所があります。
宿場町と宿場町との間に置かれたのが間の宿(あいのしゅく)。ここ平沢では、木曽漆器の名産地として全国的に知られ、2006年には重伝建に登録されました。質の良い木曽漆器をお土産に買われた方もいらっしゃいました。
江戸から34番目の奈良井宿。いよいよ折り返し地点です。この先の難所である鳥居峠を控え、多くの旅人で賑わった奈良井宿。当時は「奈良井千軒」と言われたくさんの店が通りに並んでいました。
通りにかかる看板も雰囲気を壊さず、当時の雰囲気を表しています。全体的に統一されたデザインなので町並みも均整が取れています。

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