【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2021年05月20日

【帰着レポート】東京発 鹿児島の秘島 甑島周遊の旅

2021年5月5日~5月8日 4日間 添乗員:東京支店 原悠希

<5/5日発・添乗員:東京支店 原悠希>

 2020年の九州支店にて計6本催行し、100名を超えるお客様にご参加いただきました、一番人気のツアー『鹿児島の秘島・甑島周遊の旅』に東京支店主催として初めて行ってきました。 恥ずかしい話、私自身「甑島」の存在を知りませんでしたが、実際に訪れた甑島は、聞いていた以上に素晴らしい島でした。既に複数の社員による帰着報告が上がっておりますので、重複しない内容にてご報告いたします。

日本一通行量が少ない絶景橋

 2011年に着工が始まり、昨年の2020年8月29日に開通した甑大橋。鹿児島県内で一番長い全長1,533mの橋。上甑、中甑、下甑の3島を巡るにはそれまでは連絡船を使わなければならず不便でありましたが、この橋が完成したことでぐっと訪ねやすくなったことも今回のツアーの企画の背景にあります。そして、今回実際に訪れてみて、想像以上の橋の美しさと周りの景観に驚かされました。そして、次に驚いたのが、橋を通る車の少なさです。さぞかし通行料が高いのかと思いきや、無料とのこと。現地ガイド曰くいつもそんなものだそうです。日本各地には、絶景の橋が点在いたしますが、この甑大橋は恐らく日本一通行量が少なく、かつ絶景の橋ではないでしょうか。

きっと車のCMに使用される日も遠くない

展望台から甑大橋を眺める
あまりにも交通量が少ないので写真ストップ
橋の上から見た中甑島方向
橋の上から見た下甑島方向
ご覧の通り若干の起伏があります
海上から見る甑大橋

Dr.コトーこと瀬戸上健二郎氏に想う

 甑島の名を一躍全国区にしたきっかけとなったのが、離島医療を描いたドラマ「Dr.コトー診療所」でした。その主人公のモデルとして広く名前を知られた瀬戸上健二郎氏が実際に医師として勤務されたのがこの甑島の下甑手打診療所で、今回遠目にもその診療所を目にすることができました。瀬戸先生は、開業準備のために、行政と「半年間だけ」と約束して下甑島に着任したそうですが、結果として実に39年間やり続けられました。3月にドラマの撮影が行われた与那国島を訪問していたこともあってか、離島医療についてより身近に感じるようになりました。 

ドラマの撮影は与那国島で行われました。診療所の外観
診療室からは海が
小道具もそのまま残っていました
こちらは下甑島の瀬々野浦診療所。今も現役に使われています。
ホテルのレストランの壁には原作の漫画家山田貴敏氏による絵が描かれていました。
ホテルのレセプションに飾られた原作者のサイン

番外編 串木野市

 実は今回、甑島に行く予定であった高速船が時化のため欠航になってしまい、2時間半遅れのフェリーにて島に渡りました。空いてしまった時間でどこかにご案内できないものかと現地の観光局に相談し、串木野港近くにある「薩摩藩英国留学生記念館」を急遽訪れたのですが、これが想像以上に素晴らしい所でしたので、甑島ではありませんがご紹介いたします。
 鎖国下の1865年に若き薩摩藩士19名が英国留学、視察のため密航したことをご存知ですか?正直私は知りませんでした。記念館では、薩摩藩英国留学生の留学の旅路と帰国後の功績に関する説明を聞きました。初代文部大臣になった森有礼をはじめ留学生たちは皆輝かしい業績を上げておりましたが、特に私が愛飲するサッポロビールの前身である開拓使札幌麦酒醸造所をつくった村橋久成(むらはしひさなり)もその一人であることに、時を超えて紡がれていく歴史に運命を感じるとともに、私自身、高校で教わっていない日本史を知ることができ、高速船の欠航というトラブルに感謝し、また日本の未来を切り開いた19名の留学生に尊敬の念を覚えました。

熱い説明をしてくれましたこの方は熊本出身
記念館の後方部は留学生が乗船したオースタライエン号を模したもの
今の日本があるのも彼らの功績のおかげかもしれません
そして我々は串木野港よりフェリーにて甑島へ

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