【国内】帰着しました。添乗員レポート
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2023年09月28日
【帰着レポート】驚きの巨大石窟「大悲山」を訪ねて
〈2023年9月26日(火)~9月28日(木) 添乗員:大阪支店 八百屋健太〉
〈2023年9月26日(火)~9月28日(木) 添乗員:大阪支店 八百屋健太〉
みちのくの地に仏教伝播の道を訪ねて!
日本に仏教が伝わったのは6世紀半ばの欽明天皇の時、百済の聖明王の使者が金銅の釈迦如来像や経典,仏具などを献上したのに始まります。奈良時代には日本の国家としての制度も整い、各地に国府が置かれ地方の豪族が任命された郡司を指揮して政治を行ないました。九州には太宰府が、東北には多賀城がつくられ、中央の制度や文化とともに仏教も地方に広まります。今回は東北への入り口、福島県に仏教伝播の跡を訪ねました。
小倉百人一首の歌枕の地「文知摺観音(もちずりかんのん)」を訪ねる
次の大河ドラマは、貴族文化が花開いたきらびやかな平安時代中期が舞台です。紫式部が書き上げた「源氏物語」主人公・光源氏のモデルは源融(みなもとのとおる)とされますが、この文知摺観音には源融と長者の娘虎女の悲哀物語が伝わります。百人一首の歌枕「しのぶもちずり」はこの場所で生まれ、松尾芭蕉や正岡子規がこの地を訪れました。住職の案内で伝説の岩や、東北地方では唯一の多宝塔を見学しました。
百聞は一見に如かず、みちのくに素晴らしい”仏”を見た。
このツアーの最大の楽しみが大悲山の石仏です。「薬師堂石仏」、「阿弥陀堂石仏」、「観音堂石仏」の三カ所に石仏が残っています。この石仏群は東北地方で最大、最古であり、昭和5年に国の史跡に指定されました。薬師堂石仏の前でバスを降り、大悲山の大杉の横を通ってお堂の前に進みます。スリッパに履き替えて堂内に入るとガラス戸の向こうに石仏の姿がありました。奥が暗くてガラス戸越しでは反射して見えにくいのですが…。
ついに対面、みちのくの巨大石仏に驚愕!
市教育委員会のスタッフの方がガラス戸の鍵を開けてくれて洞内へ。凝灰質砂岩をくり抜いた間口15m、高さ5.5mの空間に3体の如来像と2体の菩薩像が鎮座しています。中央の如来像が大きく、その両側に脇侍の観音が描かれていることから、この如来を中心に左右に2体ずつの如来があったであろうと想像されますが、一番左の如来は現存していません。よく見ると如来像の横には飛天の壁画も残されています。
大悲山石仏群のご本尊とされる千手観音坐像
バスを降りて坂道を少し登ると立派なお堂が見えてきました。ここには高さ9メートルもの千手観音坐像が彫られています。保存状態は良くありませんが頭部と幾本もの腕が残っており、その大きさはよく分かります。首の太さや体型から平安時代に造立されたものと推測されています。観音さまの左右の壁には化仏と呼ばれる小さな仏がたくさん描かれ、これがキジル千仏洞や敦煌莫高窟など、シルクロードの石窟壁画を連想させます。
「相馬野馬追」で有名な南相馬を訪ねました。
約400騎の騎馬武者が甲冑をまとい、太刀を帯し、先祖伝来の旗指物を風になびかせながらの威風堂々にして豪華絢爛な戦国絵巻を繰り広げる「相馬野馬追」。国の重要無形民俗文化財に指定され、まさに天下無比。人馬が一体になって駆け抜ける「甲冑競馬」や舞い降りる御神旗を数百の騎馬武者が奪いあう「神旗争奪戦」が行われます。このたびは南相馬の博物館を訪れ、その様子を学芸員の方から伺いました。
今朝獲れた秋刀魚を土鍋で炊き上げる「さんまご飯」は絶品
「日本料理 角さん」でお食事をいただきました。福島の海と山の幸を使った美味しい料理が次々と運ばれ、もうお腹いっぱい!となったところに、女将さんから「次はご飯ものです。」の声がかかります。皆さまもう食べれらないよ~、出てきたのは土鍋で炊いたご飯、蓋を取ると金色に輝く秋刀魚。これにはみんな唸り声。お腹いっぱいだったけれど、きれいにいただきました。
まだまだ知らないことが多い福島県。今回はみちのくの巨大石仏を訪ねましたが、北海道、岩手県についで全国で3番目に広い福島県は、浜通り、中通り、会津地方と地域によって気候も風土も異なります。桜に新緑、紅葉に雪景色…。四季折々の美しさを見せる福島県にまた行きたくなりました。
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