【国内】注目の旅
【国内】注目の旅
2021年11月04日
邪馬台国時代の交流の跡を探訪する
九州には古来より異国からの文化が流入し、日本の礎を築く重要な役割を果たしてきました。志賀島で発見された金印「漢委奴国王印」からは、2000年前の昔、すでに日本と大陸との間に交流があったことが証明され、3世紀の魏志倭人伝に再び日本は史実に登場し、その後邪馬台国に至る道筋が記されています。
このたびのツアーでは、北部九州に残る古代歴史のロマンをお楽しみいただきながら、大陸とのかかわりを感じることができる内容となっており、特に歴史好きな方におすすめの旅です。
古代世界を歩く、『魏志』倭人伝の登場地へ。
九州北部に装飾古墳が築かれ始める少し前の時代、日本には邪馬台国があったと伝えられています。その存在を書き記したのが『魏志』倭人伝であり、その女王である卑弥呼に「親魏倭王」の金印を贈ったと史実は語っています。今回のツアーでは、この邪馬台国時代を探り、大陸との交流の跡を丁寧に辿っていきます。
『魏志』倭人伝に描かれた一支国(いきのくに・壱岐)の都とされる原の辻遺跡へ足を延ばして、さらに、現在の佐賀県唐津市周辺に築かれた末蘆国の歴史や文化についても学びます。末蘆国は縄文時代晩期、日本最初の稲畑遺跡として知られる菜畑遺跡に隣接しており、この一帯を治めていたと考えられています。この遺跡からは日本最古の水田跡のほか、石包丁や石鏃なども出土しており、2500~2600年前の人々の暮らしが伺えます。
邪馬台国・九州説を示す重要な地、吉野ヶ里遺跡
今回の旅では、吉野ヶ里遺跡へご案内します。佐賀県の3つの町村にまたがる、言わずと知れた日本最大の弥生時代の環濠集落であり、約700年の変遷を見ることができます。古代史を語る上でははずせない大変貴重で重要な遺跡です。『魏志』倭人伝の邪馬台国に似通った遺構や遺物が発見されるなど、邪馬台国の中心であったのではないかと有力候補と目されています。2022年からは、調査開始以来、「ここには何かある」といわれてきた未調査の区域の発掘調査がいよいよ始まります。ここには卑弥呼に贈られた金印が出てくるのではないかと、調査団や地元では大きな期待が寄せられています。日本史を揺るがす世紀の大発見があるかもしれないですね。
百済王が九州の島で誕生していた!?
百済は日本に仏教を伝えるなどヤマト政権と緊密な関係にあった国でした。「日本書紀」には、百済王が倭国へ遣わした使者の中に、王の側室もおり、玄界灘に浮かぶ島で子どもを産み、それがのちの武寧王だと記されています。その島というのが、加唐(かから)島です。今から50年ほど前に、韓国で見つかった武寧王の墓誌石と日本書紀に登場する武寧王の誕生年月日が一致したため、これは史実ではないかとにわかに注目されるようになりました。
近年、老朽化した木製の標識に代わって韓国側が石碑を新調し、新しい日韓友好の場となっています。
長崎グラバー園「蝶々夫人の夜会」 老舗料理旅館「洋々閣」と有田・唐津の旅 3日間
【羽田空港集合】
1月27日(木)
旅行代金¥195,000 (1名室利用追加料金¥25,000)
【伊丹空港集合】
1月26日(
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