佳景・名景・絶景

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2022年11月02日

ペトラ遺跡(ヨルダン王国)

「ペトラ・バイ・ナイト」。蝋燭の灯りに照らされた幻想的な夜のペトラ遺跡。Canon EOS5Ds_20mm F1,4 DG HMS ART(20mm/S=1024秒 f=3.2 ISO400)

 中東三大遺跡を抱するヨルダンの古都ペトラ。その名はギリシャ語で「岩」を意味します。歴史は非常に古く、ヨルダン川西岸のイェリコ(現在のイスラエル)と並び、中東でもっとも古くから人々が生活していた地域と考えられてます。旧約聖書に登場する前13世紀のユダヤ人指導者、モーゼも、出エジプトからエルサレムにたどり着くまでの旅の途中、その足跡をペトラに残していて、ペトラの山には、モーゼの兄アロンの墓があり、町の入り口には、モーゼが杖で岩をたたいて出来たという泉「ワディ・ムーサ(モーゼの泉)」と、その岩が今も残っています。この驚くべき古代遺跡を築き上げたのは、北アラビアからやってきた遊牧系民族ナバテア人でした。ペトラは東西を結ぶシルクロードの要衝として栄え、紀元前2世紀頃には最盛期を迎えます。しかしその後ローマの支配下に置かれ、属州となり、いつの間にか歴史の表舞台から消え去ってしまったのでした。

エル・カズネがバラ色に輝く時間は午前中です。午後になると写真のように日は当たりません。

バラ色の宝物殿、エル・カズネ
 
 ペトラを再発見したのは、はるばる欧州からやってきたスイス人でした。1812年、ダマスカスからカイロに向かう途中だった探険家ヨハン・ルートヴィッヒ・ブルクハルトが見出だし、20世紀初めには発掘調査がスタート。現在も続いていますが、遺跡全体が掘り出されるには、まだまだ長い年月を要しそうです。ペトラは、死海とアカバ湾を結ぶ渓谷にあり、標高950メートルの山岳地帯。しかも高さ100メートル級の切り立った岩山に囲まれています。こうした地理的条件から、何世紀もの間、誰にも発見されずに放置されてきましたが、そのおかげで戦乱による破壊を免れたともいえます。
 最大の見所は、バラ色の岩肌の巨大な建物「エル・カズネ(宝物庫の意)」。自然の崖を彫り上げて作られた神殿風の入り口は、映画『インディー・ジョーンズ 最後の聖戦』のロケ地としてもおなじみ。ナバティア王の墓とも言われていてます。ほかにも同じく崖を削って作られたローマ劇場やエジプト風のオベリスク墳墓、ビザンティン時代には修道院だったナバティア人のドゥシュラ神殿など、数多くの建築物が残っています。近年、めっきり観光地化していますが、それでも迫力のある遺跡は必見です。

シクを抜けて突如現れるエル・カズネ。午前中に光が当たります
他にも数多くの遺跡が残されていて、見どころはつきません

ペトラ遺跡(Google Map)

フォトジェニックな砂漠ワディ・ラム

ヨルダン南部、サウジアラビア国境付近に位置する74,000haの保護地域、ワディ・ラム保護区。岩のアーチや切り立った崖、岩のアーチや切り立った崖、砂漠地帯のダイナミックな自然景観が見事で、ここも思わず写真が撮りたくなる撮影スポットです。映画『アラビアのロレンス』やマット・デイモンが主演した火星探査の映画『オデッセイ』など、多く撮影の舞台となったことでも知られています。

ペトラ遺跡を訪ねる旅はこちらから↓

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【上釜一郎】プロフィール
1964年奈良県生まれ。旅行誌(マガジンハウス/ガリバーほか)からファッション誌(集英社/ COSMOPOLITAN JAPANほか)、広告写真等のカメラマンとして活躍。また、『南オーストラリアのユートピア アデレード』(弊社菊間著・新潮社)『マカオ歴史散歩』『新モンゴル紀行」(ともに弊社菊間著・新潮社とんぼの本)の写真等も撮影。現『旅のひろば』編集部で、各地の視察も行っている。過去には紛争地や、対人地雷問題の取材などの取材経験も多数。1997年にノーベル平和賞を受賞した地雷廃絶国際キャンペーン(International Campaign To Ban Landmines=(ICBL))の日本キャンペーン(JCBL)元運営委員。
現在ワールド航空サービスの知求アカデミー講座で、写真講座の講師も務める。

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