歴史ある風景

歴史ある風景
2021年05月25日
日本有数の温泉リゾート「箱根」を創った男たち
本社 プランニング事業本部:乗田憲一
江戸時代、箱根の湯が「献上湯」として将軍に上納され始めるとその知名度は急速に上がり、「温泉地・箱根」の名は全国区となりました。明治6年、明治天皇の宮ノ下行幸がこれに拍車をかけました。それまで大地獄、小地獄と呼ばれていた地名はこれを機に大涌谷、小涌谷となり旅館の主たちは更なる発展を目指して次々旅館を建て併せて観光地としての整備も行ないました。小涌谷が良い例で三河屋旅館の創業者は噴煙あがる荒れ地を自然豊かな避暑地に変えました。

明治天皇が宿泊された奈良屋旅館(残念ながら廃業)の近くに1878年、富士屋ホテルが開業。和洋折衷の個性的な本館が落成すると、宿泊客を巡って両ホテルの争いが激化。奈良屋は日本人向け、富士屋は外国人向け、で落ち着き、後者の宿泊名簿にはチャップリンやヘレン・ケラーなど著名人が多く名を連ね、箱根は世界レベルの観光地となりました。さらに日本に帰化した英国人もホテル事業に参入。外国人が外国人向けに建てたホテルとして開花亭が生まれました。ちなみにこの跡地に開館したのが岡田美術館です。




これら宿泊施設を繋ぐ交通網の整備も民間の力が大きく、富士屋ホテルの創業者、山口仙之助が塔ノ沢と宮ノ下、旅館松坂屋本店の主が宮ノ下~芦ノ湖畔の道路を開設。後に「国道1号」となりました。未来の国道を民間人がつくったとは、とても誇らしいことだと思います。


そして大正時代になると箱根登山鉄道が誕生。三井物産創始者、益田孝が投資し、スイスの山岳鉄
道に倣ってスイッチバックで急勾配を上っていく画期的な鉄道でした。


コロナ前はこの登山鉄道や富士屋ホテル、岡田美術館を目指して世界中から観光客が押し寄せていました。以前、箱根を訪ねたとき、登山鉄道の乗客の7割近くが外国人で驚いたのが、今は何だか懐かしい限りです。
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