歴史ある風景
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2021年05月04日
鎌倉 日本有数の観光地にした立役者は、実は水戸黄門?
本社 プランニング事業本部:乗田憲一
今日は5月4日。ゴールデンウィークで、本来なら旅行シーズンなのですが…。日本人の旅好きは昔からで、江戸時代には街道も整備されたこともあり、茶屋には今でいうガイドブックのような地図に挿絵や説明書きの入ったものがあったそうです。
鎌倉や江の島はその代表格。江の島を訪ねたり、鎌倉大仏などを詣でたりしていたそうです。旅人の始まり。今と変わりませんね。
さて、その鎌倉観光ガイドなるものができた立役者をご存じですか?ドラマ『水戸黄門』で知られる、水戸光圀公です。ドラマでは諸国漫遊していますが、実際は行っておらず『大日本史』編纂のため諸国を歴訪したのは「助さん」です。光圀公自身は幼いころ父に連れられて熱海など巡ったり、隠居後に水戸藩内を巡ったりはしました。ただ、たった一度だけ「自らの意思」で旅をしたことがあります。それが鎌倉です。
1673年、水戸から房総半島へ行き、船で鎌倉に入り、約2週間滞在します。帰藩後、『新編鎌倉志』という全8巻12冊の地誌として刊行されました。文化的素養が高く、測量技術・発掘調査にも長けていたため、現代の我々も驚くほどの詳細さ。追加調査もさせるなどの徹底ぶり。ここに掲載されていた地図や情報を元にチラシのような形で流布され、江戸時代、鎌倉・江の島観光ブームが出来上がりました。
かの歌川広重も、『相州江ノ島之図』『浄泉寺の澪佛(鎌倉大仏)』など鎌倉の名景を何度も描いています。
自身の見聞をベースに構築するので具体的で、納得性も高い光圀公の手法は、旅創りの基本に繋がる、と思っています。
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