【海外】帰国しました。添乗員レポート

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2023年10月13日

【帰国レポート】カビール砂漠のオアシス都市と 聖地マシャドの旅 11日間

<9月29日(金)〜10月8日(月) 添乗員:東京支店 中屋 雅之>

<9月29日(金)〜10月8日(月) 添乗員:東京支店 中屋 雅之>

 ワールド航空の新ツアー「カビール砂漠のオアシス都市と聖地マシャドの旅」から戻ってまいりました。このツアーには3つのテーマがあります。1つ目はイスラム教とゾロアスター教の聖地。2つ目は広大な砂漠とそこに点在する日干し煉瓦のオアシス都市。3つ目はアルケサス朝パルティアを中心とする古代の歴史と遺跡の数々です。しかし、それ以外に親日的なイラン人との触れ合いや砂漠の民宿での宿泊など、ほかのツアーではほとんどない様々な経験をすることができました。
 全行程バスで移動し、その移動中でも様々な町や人、そしてキャラバンサライなどに出会いました。まさしくここはシルクロードそのものなのです。また、民家での食事も経験。ご家族の篤いおもてなしと、優しさには感動を覚えました。本当にイランの人々は親日的であることを実感しました。

テーマ1:ゾロアスター教の聖地チャクチャクとイスラム教・シーア派の聖地マシャド

 このツアーで最初に訪問したのはヤズド郊外のゾロアスター教の聖地チャクチャクです。西暦640年、ササン朝ペルシャ最後の王ヤズディギルド3世の娘ニークバーヌーがイスラム教徒の軍隊に追われ逃げ込んだのがこの場所だと言われています。姫はここでゾロアスター教の神アフラマズダに祈ると岩に洞窟ができてそこに逃げ込みました。その後、追手がやって来た時には洞窟の入口が閉じて、姫は逃げ延びることができたそうです。その姫に対し、岩が涙を流して今でもポタポタと雫が落ちています。この音がペルシャ語で「チャクチャク」なのです。

岩山にへばりつくような神殿。
洞窟の内部。今でもポタポタと雫が落ちています。

 旅の最後に訪れたのがイスラム教・12イマーム派の聖地マシャドです。イランの12イマーム派では12人のイマーム(最高指導者)が崇拝されていますが、そのうち8番目のイマームであるイマーム・レザーが亡くなったのがこの場所であり、後に彼の霊廟が造られ、18世紀のアフシャール朝の時代にはこの町が首都として繁栄、聖廟も拡大されました。現在でもイランのイスラム教徒(シーア派)にとってはメッカに次ぐ聖地として多くの巡礼者を集めています。

マシャドの聖域の夜景
イマーム・レザーの廟
鏡とクリスタルで装飾された礼拝室
礼拝室の入口

テーマ2:広大な砂漠とそこに点在するオアシス都市の数々

 イランには広大な砂漠が広がっていますが、そのほとんどは土の砂漠で、日本人が想像するような砂丘のある砂沙漠の風景はあまり見られません。しかし、今回はカビール砂漠にある人口わずか15人の小さな村に宿泊。日没時と日の出時に砂沙漠を4WDで堪能しました。

人口わずか15人のファラフザード村に宿泊
広大な砂丘の広がるカビール砂漠
ラクダも登場
朝日を浴びる砂丘

 この砂漠の周辺はかつてのシルクロードであり、至る所でキャラバンサライやオアシスの宿場町が見られました。オアシス都市の建物はすべて日干し煉瓦で作られており、壊れかけているものもありました。日干し煉瓦の建物は壊れるとその上に新しい建物を作るので、土台がすこしづつ高くなるので、何千年という歴史の中で、小高い丘「テル」(ペルシャ語でテペ)を形成するのです。

オアシス都市メイボッドの日干し煉瓦の建物と城壁



オアシス都市・ハラーナック
ハラーナックの「揺れるミナレット」

テーマ3:悠久の歴史と壮大な遺跡の数々

 イランといえばアケメネス朝ペルシャやササン朝ペルシャの遺跡が有名ですが、この地域ではササン朝ペルシャの前、紀元前3世紀から紀元後3世紀に広大な帝国を形成した「アルケサス朝パルティア」がテーマです。
 紀元前3世紀、アレキサンダー大王亡き後に西アジアの広大な領土を支配した「セレウコス朝シリア王国」。この国を倒し、現在のイランの地を中心に、現代のシリアからインダス川までの広大な領土を手に入れたのがアルケサス朝パルティアです。最盛期にはローマ帝国と国境を接し、何度も戦いを繰り広げました。その最初の都は現在のトルクメニスタンに位置するニッサ、そして後にここから移された新しい都が「ヘカトンピュロス」です。その後、最後の都ユーフラテス河畔に造られたクテシフォンですが、これは後のササン朝ペルシャに引き継がれます。
 今回のツアーではその最大の都跡、ヘカトンピュロスを訪ねました。ヘカトンピュロスはまだほとんど発掘がなされていないため、その全貌ははっきりしていませんが、広大な平原の中に様々な建築物が残り、また、至る所にパルティアの時代の物と思われる陶器の破片やガラス片が落ちています。
 最初に訪ねたのは最も大きな建物跡で、おそらく王宮ではないかを言われています。現在この地は管理する人もいないので日干し煉瓦の建物の上に上ることができました。上から見ると大変大きな建物であることがわかります。また遠くには軍の司令部であっただろう建物など、当時の町の様子を想像することができました。

王宮の建物と思われる巨大建造物
2000年前の日干し煉瓦の建物
軍の司令部?
遺跡に散らばる陶器の破片やガラス片

 宿泊地であるダームガーンの町の周辺にも様々な時代の遺跡が残されています。テペ・ヒサールは紀元前5000年に遡る遺丘であり、現在も発掘が進められていますが、遺跡のど真ん中を鉄道が走り、完全に分断されています。この鉄道は遺跡が見つかる前に敷設されたとのことです。
 また、すぐ近くにはササン朝ペルシャの時代(紀元後3世紀〜7世紀)からイル・ハン国(13世紀〜14世紀)の町の跡やアルケサス朝パルティア時代の長さ数百キロにも及ぶ万里の長城も残っています。

イル・ハン国時代の氷室(手前)と宮殿(奥)
鉄道によって分断された遺跡
アルケサル朝パルティア時代の「万里の長城」の一部
ガレ・ヒサールの城壁と兵舎跡

この町は、かつて中央アジアからコンスタンチノーポリスへと向かうシルクロードの中継地点として重要な役割を果たし、南のイスファハンへと向かう分岐点でもありました。当時の栄華の跡を今もっ見て取れます。

 これ以外にも世界遺産のゴンバデ・カヴースや各地に残るキャラバンサライ、地元の人々との触れ合いなど見どころの多い、極めて充実したツアーでした。
※写真はすべて今回の旅行中、添乗員中屋が撮影したものです。

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