【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2021年03月03日

【帰着レポート】岩手ガストロノミー 三陸海岸走破の旅

2021年2月25日(木)~2021年2月28日(日) 4日間 添乗員:東京支店 酒井康行

<2/25発・添乗員 酒井康行>

まもなく東日本大震災が発生してから10年が経とうとしています。被災された方は一時もその悲しい記憶を忘れることなく、しかしながら、再び自然災害に見舞われようとも、今度は犠牲者を出さないように、常に万全の状態で「防災」を意識しながら強く逞しく生活をされていらっしゃいます。このたびは節目の年を迎えるこの時期に、防災の意識を高めるべく、そして、少しでも地元の方の生活に貢献すべく、さらには旬の山海の幸をいただくべく、三陸海岸を訪ねました。

図らずも、2月13日に発生した地震の影響で、東北新幹線の一部区間が運休されておりましたが、出発の1日前にあたる2月24日より臨時ダイヤではありますが、全区間で運行が再開され、お陰様でツアーを実施出来る運びとなりました。復旧に携わった方全員に敬意を表すとともに、出発直前までスケジュールが定まらないのにもかかわらずご予定をご調整くださったツアーにご参加の皆様に御礼を申し上げます。

奇跡の一本松 陸前高田にて
小袖海女センターにて海女さんのお話を伺いました
青光りする龍泉洞の地底湖

震災遺構「たろう観光ホテル」に代表される田老にて
「学ぶ防災ツアー」に参加

 「学ぶ防災ツアー」は、東日本大震災の影響で甚大な被害が出てしまった田老地区の現状や当時の状況を、防潮堤に上って災禍の記録や後世への教訓を伝えることで、お客様に自然災害の恐ろしさを考えていただくとともに、防災意識を高めていただくことを目的としています。
 道の駅を出発し、職員の一声で学生全員が助かった田老第一中学校、被災を免れた常運寺とその集落、三陸鉄道の田老駅、9,282個のメガソーラーパネル(480世帯分の電力を供給可能)、蕎麦畑、かつては7ヘクタールに及ぶ松並木があった場所(現在は数本程度)、旧田野畑野球場、14.7mの高さで建設中の新防潮堤などを車窓からご覧いただき、最初に立ち寄っていただいたのが「第一防潮堤」。
 1896年(明治29年)の明治三陸大津波と1933年(昭和8年)の三陸大津波により壊滅的な被害を受けた田老地区(旧田老町)。これを受け、防潮堤の整備は昭和三陸大津波の翌年(昭和9年)から始まり昭和54年に整備が完了しました。町全体を囲む総延長2,433メートル、高さ10メートルの長大な防潮堤はかつて「万里の長城」と呼ばれていました。また、旧田老町では、定期的に津波の避難訓練が行われ、避難場所・避難経路を示す表示が多く設置されるなど、津波に対する取り組みが成されていました。
 しかし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による津波は、この高さ10メートルの田老防潮堤を超え、田老の町を飲み込み、甚大な被害を及ぼしました。
 現在は1,350mが残されており、毎年3月11日の14時46分には、住民が手を繋いで海に向かって黙祷が捧げられています(2020年は中止)。また、第一防潮堤のすぐ脇には7億8千万円の費用をかけて建設された新野球場も完成されています。第一防潮堤からは、被災を免れた地区と被災に遭ってしまった地区、さらには被災後に丘の上に新たに建設された住居、建設中の新防潮堤、これから向かうたろう観光ホテル、たろう観光ホテルのオーナーが丘の上に新たに建設されたホテル「なぎさ荘」、津波到達点が刻まれる製氷機小屋などを、全て見渡すことが出来ました。
 続いてご案内したのは「たろう観光ホテル」。東日本大震災により6階建ての建物の4階まで浸水し、1、2階は完全に破壊されてしまいました。その姿から大津波の破壊力を感じることが出来、この「たろう観光ホテル」は津波遺構として保存され、防災意識の向上のために活動している「学ぶ防災ガイド」にも活用されています。学ぶ防災では、1階から非常階段、あるいは2020年1月に設けられたエレベーターを利用して6階に上がり、津波が襲来する様子をホテル6階から撮影したホテルオーナーの映像をご覧いただきました。目の前に広がる光景と映像の中に移し出された光景は、全く同じ場所にもかかわらず、似ても似つかぬ、全く異なる光景のように思えました。こちらではガイドさんから、4,400名の村民のうち181名が亡くなり、さらにそのうちの44名がいまだに行方不明になっていらっしゃるといった数字の話から、ガイドさん自身が経験された貴重なお話も伺うことが出来ました。

第一防潮堤からのぞむ「たろう観光ホテル」
6階の1室にてホテルオーナーが撮影した貴重な映像を見させていただきました。
「たろう観光ホテル」の2階部分
ホテル6階から見る街並み。かつてはここにたくさんの家屋がありましたが、全て津波に飲み込まれてしまいました。

陸中山田では「復興まち歩き・つまみ食いツアー」に参加

 震災後に土地自体がかさ上げされた「陸中山田駅」からツアーは始まり、このたびはコロナ感染予防の一貫で、バスを利用して車窓より、かつて商店街が広がっていた国道45号線中央町、高さ9.7mの新防潮堤、車を利用して避難が出来るように設計された防潮堤を乗り越えることが出来る道路、織笠川に造られた水門、「鯨と海の科学館」(津波到達点を示すプレートがついています)、山田湾の養殖筏(牡蠣、ホタテ、ほやなどを養殖しており、震災前は生食用カキの生産量はここ陸前山田が日本一でした)、大島(オランダ島)(1643年、オランダ船「ブレスケンス号」が食糧と水を補給するため、この地に(いかり)を下したことから名づけられた、周囲約900m、面積26,960㎡の東北唯一の無人島の海水浴場がある島などをご覧いただきました。
 そして最後に立ち寄ったのが「御倉山」。慰霊碑や旧陸中山田駅に設けられていた時計、鎮魂と希望の鐘が設置されています。そしてそこからすぐの場所にある「五篤丸水産」に立ち寄り、「カキの殻剥き体験」と「いか徳利で飲む日本酒試飲」をお楽しみいただきました。
 このたびは全員分のタッチパネル式タブレット端末を用意してくださり、2011年3月11日前後の町並写真と現状とを比較しながら陸中山田を見学していただけたので、非常にわかりやすかったです。

陸中山田駅にあった時計。津波による被災時刻の午後3時27分で止まっています。
御倉山にある鎮魂と希望の鐘
かつて商店街が広がっていた国道45号線中央町
「鯨と海の科学館」(津波到達点を示すプレートがついています)
山田湾の養殖筏(牡蠣、ホタテ、ほやなどを養殖しており、震災前は生食用カキの生産量はここ陸前山田が日本一でした)
カキの牡蠣剥き体験

いか徳利に注がれた熱燗を試飲していただきました

その他の見どころは写真にてご紹介します

復興を遂げた気仙沼港
折石と巨釜
震災後、田野畑村にて発見された消防車 東日本大震災津波伝承館「いわてTSUNAMIメモリアル」にて
盛駅から久慈駅まで、三陸鉄道に全線乗車しました
北山崎展望台からの優美な眺め
北山崎遊覧船にて弁天崎を望みました
浄土ヶ浜には私たち以外は誰もいませんでした

美味しいお食事も堪能しました

牡蠣鍋
ふかひれの姿煮がのった茶碗蒸し
「魚彩亭すみよし」の海鮮丼

茹でた旬の毛ガニ
ホタテやアワビの陶板焼き

テレビ番組「アイアンシェフ」にも出演され、2011年と2017年には農林水産省が開催した『料理マスターズ』を受賞された伊藤勝康シェフが腕を振るう、地産地消の田野畑フレンチもお楽しみいただきました。

早どりワカメで包んだソイ
岩手県産5色の大根を添えて
あいなめ キクイモソース
キクイモとアスパラ菜添え
ナメタカレイ 海苔とどんこ椎茸のソース
どんこ椎茸と寒じめほうれん草
ホロホロ鳥(もも肉・胸肉・ささみ肉)
マッシュドポテト 蕪 南瓜 ちじみ菜
3食にんじん
田野畑山地酪農牛乳のソルベ
岩泉産すだれ小豆のブルーベリージュース煮
アマゾンカカオのテリーヌ
伊藤シェフがバスの中にまで来てくださり、
皆様にご挨拶をしてくださいました。

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