【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2022年06月25日

【帰着レポート】野鳥の楽園 天売島・焼尻島の旅

2022年6月21日(火)~6月25日(土) 添乗員:本社営業部 萩原洋子

〈6月21日発 添乗員:本社営業部 萩原洋子〉

天売島、焼尻島(やぎしりとう)。聞きなれないこの二つの島は、北の大地・北海道の離島で利尻・礼文島より90キロほど北に位置しています。今では観光の島として知られている利尻・礼文島に比べると知名度は低く、まさに知る人ぞ知る秘島。本ツアーではこの天売島に連泊し、焼尻島には日帰りで訪れます。ツアーの後半は北海道に戻り、小平、増毛、小樽と国道231号・国道232号線を南下していきます。今回のレポートでは天売島と焼尻島が持つ圧倒的な自然の魅力はもちろんのこと、小平や増毛など通常なかなか訪れない北海道の日本海側の魅力も併せてお伝えします。

空を駆けるウトウの群れ、8種類の海鳥が織りなす大空間

天売島は、ウミガラス科目の海鳥、ウトウの世界一の生息地。離島のためキツネなどの天敵がいないことから、繁殖数は年々増加しており、現在は80万羽も生息しているとのこと。繁殖の時季のみ陸上で生活するウトウを間近で観察できるのは6~8月にかけての3か月間のみです。ウトウは4月に天売島の赤岩展望台付近にて産卵し、必ずつがいで卵を育てます。海鳥にしては珍しく地中に1~1.5mの深さを持つ巣穴をほり、毎年同じ巣穴を使います。繁殖の時季になると日中は親鳥が魚を捕りに沖へ出かけて、夕方いっせいに帰巣します。

水平線からどこからともなく現れるウトウの群れ。その光景は訪れる人の胸を打つものがありました。そして魚を咥えて帰るウトウを待ち受けるのは、ひな鳥だけではありません。体重が重いことから潜ることができない海鳥・ウミネコが虎視眈々とウトウの魚を横取りしようと待っているのです。 ツアーでは夕方ウトウが帰巣する時間に合わせてナイトツアーにでかけ、帰巣するウトウを鑑賞します。その際に聞こえるのはウトウが風をきりさく音と、猫の鳴き声のようなウミネコの声のみ。大自然の力を感じる時間でした。

ツアーでは専門のガイドが鳥の見わけ方や生態を説明しますので、鳥の知識がない場合でも気軽に楽しめます。今回ご参加いただいた方も、野鳥観察は初めてという方が多くを占めていましたが、2日間の島での滞在で、海鳥に関しては十分すぎるほどの知識をもってお帰りになりました。

一度に押し寄せるウトウの群れ  その数は80万羽

ウトウ 繁殖期のみ白い飾り羽根が生えています 

また天売島にはウトウ以外にも、足が赤いケイマフリ、25センチメートルほどの大きさほどしかないウミスズメ、鵜飼でも使われるウミウ、その仲間のヒメウ、前述のウミネコ、ウミネコより一まわり大きなオオセグロカモメ、オロロン鳥の名を持つウミガラス、と計8種類の海鳥が生息しています。海鳥はすぐ滑空できるように、巣を断崖絶壁や岩の上に造ることが多いため、島の中からだと巣を見ることは難しいのですが、本ツアーでは漁船に乗り、天売島を海から展望。それぞれの種ごとで営巣(えいそう)している様子を見ることができました。また水面ではケイマフリやウトウが泳いでる様子も確認できます。望遠鏡を持参されたお客様はその姿がはっきり見えたと仰っていました。

早朝の漁船クルーズで眺める島の断崖絶壁  
鳥の糞で岩が白くなっています。 
 ウミネコのコロニー みゃあみゃあという鳴き声が騒がしいです

草を食むめん羊とオンコが生い茂る焼尻島

天売島から高速船で15分、天売島と兄弟のような島が焼尻島(やぎしりとう)です。天売島と同じく、20分あれば車で島を一周できてしまうほどの大きさですが、急勾配な天売島と比べると平坦な地形で、植生環境が大きく異なります。
島の三分の一の面積を占めているのが、オンコ(イチイ)の森です。冬は1mほど積雪するこの地では、オンコの木は風雨に抗えず、横長に成長します。
そしてその側には、サフォーク種の羊が放牧されています。塩分を含んだ草を食むゆえにその味が高く評価されている、高級品種です。まるで人を包み込むように生えているオンコの木と、人間のことなんて関係なく草を食む羊。島の空気と相まり、ゆったりとした島時間を過ごしました。

めん羊牧場
オンコの森 

焼尻島を一望 天売島と異なり平たい大地であることがわかります

鰊文化をたどって オロロンラインの旅


北海道の日本海側は、訪れる人も少なく、観光地としてはあまり知られていません。そんな場所を、今回は国道231•232号を通って移動しました。この国道は、オロロンラインとも呼ばれ、天売島に生息する絶滅危惧種•ウミガラスの名を冠しています。オロロンライン沿いには、江戸末期〜昭和にかけて盛えた鰊漁の足跡を残す町が連なります。今回のツアーでは鰊漁の網元が残っている小平(おびら)、北海道の中でも一番最後まで鰊漁が栄えた増毛を訪れました。にしん漁は、男手だけでなく、女子供も総動員。小平の旧花田屋番屋では、漁で使われていた道具を見ることができ、その中には、女子供が鰊を運ぶために使用したもっこ(木荷)などもありました。また、「にしんは魚に非ず(にしんを鯡という漢字で表していた時代もある)」といわれるほど栄えた鰊漁。網元たちはヤンシュウとよばれる雇漁夫と一緒に、大規模な漁業を行っていました。その財力は、北前家船の交易で繋がっている加賀の九谷焼が食器やお手洗いに使われている点から、推測できます。

九谷焼の便器

もっこ 女子供は5~10キロのもっこに50匹のにしんを入れて運びました
網元の住居兼漁業施設(=番屋) 広大な空間です
小樽の鰊御殿・銀鱗荘もにしん番屋 豪奢な装飾の大広間

ご参加されたお客様の中には、なかなか訪れる機会のない場だからこその価値があるね、と話される方も。野鳥が生き生きと躍動している天売島•焼尻島、そして北海道の日本海側の歴史を辿る旅となりました。

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