【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2020年12月08日

京丹後・幻の間人(たいざ)ガニと舟屋の町・伊根の旅

2020年12月2日〜12月4日 3日間 添乗員:東京支店 酒井康行

チェックイン時に見せていただいた生きた間人ガニ

<12/2発・添乗員 酒井康行>

丹後半島から約40キロの経ヶ岬(きょうがみさき)の沖合いで漁師が命懸けで捕り、その日のうちに生きたまま水揚げされた抜群の鮮度を誇る松葉ガニのブランド「間人(たいざ)ガニ」。緑色のタグが間人ガニの証で、わずか5隻の小型船だけで操業するため、漁獲量が少ないことから「幻のカニ」と呼ばれます。身詰まりも申し分なく、著名人・料理人にも多くのファンがいる珠玉の逸品です。この間人ガニをいただける間人の宿「寿海亭」宿泊の旅にお客様と出かけてきました。

わずか8部屋の大人の絶景隠れ宿「寿海亭」に宿泊

漁業が盛んな間人は、難読地名として知られています。聖徳太子の生母・間人(はしうど)皇后が蘇我氏と物部氏との争乱を避けて丹後のこの地に身を寄せ、後にこの地を去るにあたって自らの名をこの地に贈ったものの、住民は「間人(はしうど)」と呼び捨てにすることを畏れ多く思い、皇后がこの地から「退座」したことにちなみ、間人を「たいざ」と読み替えたとの伝承が残っています。

間人と聞いて、真っ先に思い浮かぶ食といえば「間人ガニ」です。その間人ガニをいただける宿として有名なのが「寿海亭」です。

間人ガニは刺身でもいただけます
間人ガニのフルコース
ごはんよりもカニ身の方が多い雑炊

寿海亭は京丹後の高台に佇み、全客室に日本海に向いた窓がありますので、晴れた日には夕日の「絶景」を楽しむこととができます。また、日本海に夕日が沈むと、海を照らすのはイカ釣り漁船の漁火。初夏から夏にかけて、日本海の夏の風物詩として、この景色を目当てにやってくるお客様も多いそうです。

また、旅館のご主人は間人港の仲買人でもあるため、毎日のようにセリに立ち、新鮮な地魚を仕入れます。長年養った目利きで、旬の素材を見抜き、自ら競り落とされていらっしゃるのです。

お客様にはホテル内3階にある「れすとらん界」にて、お待ちかねの間人ガニを刺身や焼きや茹ででお楽しみいただきました。そのほかにも、バイ貝、ヨコワ(クロマグロの幼魚)、グレ(メジナ)、アオリイカのお造りや、子持ち甘エビ・黒エビの焼き物など、新鮮な海の幸の数々をご賞味いただきました。間人ガニとの格闘にお疲れ気味の方もいらっしゃったようですが、間人ガニだけで満腹させてくれない、贅沢を体験出来ました。

東舞鶴では赤れんが博物館と引揚記念館

東舞鶴は1901年に舞鶴(かつて日本海軍の根拠地として艦隊の後方を統轄した機関)が設置され、軍港として発展し、明治期から大正期にかけて建設された赤れんが建造物が数多く残っています。

なかでも北吸(きたすい)地区の赤れんが倉庫群は、全12棟のうち8棟が国の重要文化財に指定されるなど、日本有数の歴史的価値の高い赤れんが建築群です。これらの建物を利用し、2012年(平成24年)に舞鶴市の観光交流施設としてオープンしたのが「舞鶴赤れんがパーク」です。

皆様にはその中にある「赤れんが博物館」を見学していただきました。この建物は明治36年(1903年)に旧舞鶴海軍の魚雷の倉庫として建設されました。鉄骨とれんがを組み合わせた建築物としては、日本に今もある建物としては最古のもののひとつです。1階では、サンピエトロ寺院(イタリア)や万里の長城(中国)などの著名なれんが建造物や、かつてれんが製造の主流を占めたホフマン窯内部を、2階では、原爆ドームやアウシュヴィッツ強制収容所で使用されたれんがなどの展示をご覧いただきました。

もとは魚雷の倉庫だったという赤れんが博物館
各地のれんがが紹介されていました

見学後は舞鶴引揚記念館へ。昭和20年(1945年)、第二次世界大戦が終結し、旧満洲や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に約660万人もの日本人が残されました。これらの方々を速やかに日本へ帰国させなければならなくなり、「引き揚げ」が開始されました。呉をはじめ順次18港の引揚港が全国に次々と設置され、舞鶴もその役割を担うこととなり、主に旧満洲や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港となりました。その点において、舞鶴は戦後の第一歩を記した新たな出発点として「戦後復興のふるさと」ともいえる地となりました。

赤れんが博物館の前には海上自衛隊の係留所が広がります

悲しい歴史に目を向けざるを得ない展示もございましたが、「岸壁の母」で有名ないせさんの紹介など、胸が熱くなるシーンを思い出されるお客様もいらっしゃったようで、感慨深い訪問となりました。

丹後の食材を使った絶品イタリアン 宮津「aceto」

陸奥の「松島」、安芸の「宮島」とともに、日本三景のひとつ「天橋立」を見学した後、「地元丹後を食で活性化したい」、「宮津を日本のサン・セバスチャンにしたい」という思いで、2017年7月にオープンしたイタリアン「aceto(アチェート)」へご案内しました。

実はacetoの本業は宮津で120年以上続くお酢屋(そもそもacetoとはイタリア語で「お酢」という意味です)で、50年以上無農薬のお米のみを原料に使い、米作りから酒造り、酢造りまで全ての工程を自前で行っています。原料や造り方に妥協を許さないことで、全国の鮨職人や料理人、パリやサンフランシスコなどの世界中のシェフからも評価を受けています。

acetoでは名のとおりお酢も売っています

重康彦シェフは、シチリア料理の第一人者で、東京から招聘されました。バターなど乳製品は控え目に、お酢屋ならではの素材と丹後の食材の旨味を引き出したイタリアン、それがacetoです。

丹後は間人蟹や寒ブリ、とり貝などの魚介、丹後コシヒカリや万願寺とうがらし、猪や鹿のジビエなど、とりわけ山海の幸に恵まれています。10を超える酒蔵もあります。この食材が生まれた風土を感じながら、都会では味わえない料理でお客様に喜んでいただきたい、さらには食事はもちろん、丹後の自然や空気や人を楽しんでいただきたい、そのようにacetoは考えています。

そしてスペイン・バスク地方の片田舎のビーチリゾートだったサン・セバスチャンのように、レストランで街を変えたいと思っていらっしゃいます。

スペイン北部・バスク地方にあるビーチリゾート、サン・セバスチャン。人口はわずか18万人、大都市から車で1.5時間ほどの立地にありながら、24軒のミシュランガイド星付きレストランがあり、その密度は世界一を誇る美食観光都市です。

一方、丹後も人口20万人。大阪や京都から車で1~2時間ほどの場所にあり、海と山に囲まれた山海の幸が豊富な地域。日本三景のひとつである天橋立や伊根の舟屋といった観光地に恵まれ、年間540万人が訪れる京都の海の街です。

サン・セバスチャンとこれだけの共通点がありながら、このエリアはミシュランガイド未発刊であり、豊富な山海の食材を活かす飲食店が多いとはいえないのが現状です。そんな現状を打破したい。丹後をもっとわくわくする街に、人が集まってくる街に変えたい。そんな想いでacetoは、2017年7月にオープンしたのでした。

皆様にお召し上がりいただいたメニューは、ヒラマサのカルパッチョや浜坂甘えび純米富士酢、富士酢の玄米リゾット、宮津のペスカトーレ、すずきのソテーなど。いずれも美味で、お酒を飲める方はワインのおかわりが絶えませんでした。

前菜
ペスカトーレ
リゾット
魚料理

海の京都 舟屋の町・伊根

伊根は京都府北部に位置する与謝郡に属する町で、東から北にかけては日本海に面し、南は宮津市に、西は京丹後市に隣接しています。丹後半島の北東部に位置し、漁村集落としては全国で初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定され、さらに「日本で最も美しい村」にも加盟する舟屋の町並みで国内外にも知られ、毎年30万人近い観光客が訪れます。

伊根の舟屋が伊根湾(伊根浦)沿いに建ち並びますが、これらの家屋は船の収納庫の上に住居を備えた、この地区独特の伝統的建造物です。舟屋は伊根湾の海面にせり出して建築されていて、1階に船揚場、物置、作業場があり、2階が居室となっています。切妻造の妻側を海に向けて建てられたものが全体の約90パーセントで、1階部分の床は船を引き上げるために傾斜しています。1階の作業場は出漁の準備、漁船や漁具の手入れ、魚干物の乾場や農産物の置き場などに利用されます。土台や柱は椎の木を用い、梁は松の原木を使用しています。

風情ある舟屋の町・伊根の風景

舟屋は江戸時代中期頃から存在しているものと見られ、現在、230棟ほどが残されています。伊根湾の入り口にある「青島」が防波堤の役割を果たしているため、風の影響を受けにくく、波が穏やかで、時間がゆったりと流れていくような景色はどこか懐かしく、日本の原風景を感じさせる美しさが今でも大切に残されています。それゆえに近年では、伊根町内にて映画やドラマ(『男はつらいよ・寅次郎あじさいの恋』、『釣りバカ日誌5』、連続テレビ小説『ええにょぼ』など)の舞台にもなりました。

さて、皆様には遊覧船で、伊根湾に浮かぶ青島や舟屋を海上よりご覧いただきました。生憎の空模様ではあったのですが、チケットと一緒にいただいた、かっぱえびせんをあげると、カモメやトンビが飛来してきて、皆様も飽きることなく楽しんでいらっしゃいました。

生憎の天気でしたが、カモメやトンビが遊んでくれました

久美浜では名物の「ぼたもち」や「ばらちらし」をお土産にいかがですか

丹後唯一の城下町・久美浜では豪商稲葉本家を見学しました。稲葉本家は、織田信長家臣、美濃の稲葉一族の末裔といわれ、この久美浜の地にて糀製造で得た富を背景に廻船業を営み、沿岸交易によって巨万の富を得、付近諸藩の金融を独占するほどの豪商でした。

番頭主屋は、衆議院議員も務めた12代目の市郎右衛門英裕が明治18年から5年の歳月をかけ建設し、13代目の稲葉市郎右衛門は、多額の私財を投じて旧国鉄宮津線の久美浜~豊岡間を開通させたことで有名です。

この住宅を建てたのは12代市郎右衛門。稲葉家は長年火災などに遭わなかったためむしろ不便となり、明治10年にそれまでの家屋を取り払い、明治10年から20年までは奥座敷を仮住まいとして、明治18年から5年の歳月をかけて新築されました。

稲葉本家の販売所
家屋は昔ながらの日本家屋の佇まいを残します
稲葉本家のぼたもち

そんな稲葉本家で有名なのが「ぼたもち」と「ばらちらし」。稲葉家とぼたもちの歴史は古く、久美浜縣誕生を記念して地域の人々にぼたもちを配ったとか。13代稲葉市郎右衛門は、旧国鉄宮津線の敷設や地域振興に多大な貢献があり、その功績を称え銅像が建立されました。その際、地域の人々がぼたもちをついて祝いました。そのことが始まりで今でも故人を偲び、ぼたもち会が年1回開催されています。人気の商品ゆえに事前予約必須ですが、その価値は間違いなく、皆様、解散後の新幹線の中でいただくべく、購入されていらっしゃいました。

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