【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2020年11月24日

越前ガニの名店「川喜」と金沢の旅

2020年11月17日~11月19日 3日間 添乗員:東京支店 酒井康行

<11/17発・添乗員 酒井康行>

かにのシーズン到来。11月半ばに福井県は三国町にある越前がにの名店「川喜」を訪ねてまいりました。絶品の越前ガニに舌鼓、さらにはこの時期にしか見られない兼六園の紅葉と雪吊りのコラボレーションにも感動、金沢城やひがし茶屋街の散策、東尋坊訪問など、3日間というコンパクトな日程ながらも充実の日々でした。

越前ガニの名店「川喜」にて至福のひととき

福井・三国町のかにの名店「川喜」

「『料理は素材が命』。厳選したかにや魚本来の味を損なうことなく、それぞれの旨みを最大限に引き出す。そのために、塩加減等々に細心の注意を払う。昔も今も、日々、真剣勝負の繰り返し。この流儀の最大の結晶こそが『茹でがに』です」

そうおっしゃるのが、様々なアワードを受賞されていらっしゃる川喜のご主人、大森幹夫さんです。殻からプルンと、旨みも余すことなく弾け出る、艶やかな足身。一度口にしたら、虜になってしまう魅惑の味噌。その「おいしさ」の素は、かに特有の「旨みエキス」です。かにの大きさや固さによって、茹で時間も一杯一杯変えていらっしゃり、「今までに食べたかにと全然違う!」と思わせてくれるかに、それが川喜の越前がにです。

身のぎっしり詰まった川喜のかに

ご主人や女将さんは気さくで気取らない感じですが、かにに対する思いは真剣そのもの。ご主人の信念に加え、女将さんの〝かにさばき〟は、もはや職人芸。あれよあれよという間に殻に包まれていたかにの輝く白身が現れ、目からウロコでした。そして女将さんのおっしゃった「どうしてもお腹いっぱいだったとしても、かにのエキスは飲み干してくださいね」という一言に、「エキス」に対する思い入れの強さを感じました。

越前がにのミソは濃厚な味わい

皆様心配せずとも、カニ身もすべてたいらげていらっしゃいましたが……。

季節限定の、卵をいっぱい抱いたメスの「せいこがに」が前菜という、なんとも贅沢な昼食は、あっという間に3時間が過ぎていました。

川喜のご主人
見事な手さばきの女将
せいこガニも美味

紅葉と雪吊りを同時に楽しめる贅沢な兼六園散歩

特別名勝「兼六園」は、岡山の後楽園、水戸の偕楽園とともに「日本三名園」のひとつに数えられる、総面積11.4ヘクタールの江戸時代の代表的な林泉廻遊式庭園です。春の桜、秋の紅葉、冬の雪吊りなど四季折々の美しさを見せ、いつ訪れても素晴らしい景観を見せてくれます。

瓢池の紅葉が見られました

文政5年(1822年)、奥州白河藩主・松平定信は、加賀12代藩主前田斉広の依頼に応じ、宋の詩人・李格非の書いた「洛陽名園記」という書物の中の次の文を参考にしました。

「洛人云う園圃の勝 相兼ぬる能わざるは六 宏大を務るは幽邃少なし 人力勝るは蒼古少なし 水泉多きは眺望難し 此の六を兼ねるは惟湖園のみ」

その意味は、「広々としていれば(宏大)静かな奥深さはなく(幽邃)、人工的であれば(人力)古びた趣は少なくなる(蒼古)。また池や曲水や滝が多ければ(水泉)、遠くは眺められない(眺望)。つまりそれぞれ相反する六つの景観(六勝)を兼ね備えているのは(中国洛陽にある)『湖園』だけである」ということです。そしてまさに兼六園がそうであるという理由で名付けられました。

さて、私たちが訪れた11月中下旬は、豪雪地帯金沢らしく、雪吊りの準備が施され、しかも、高さ6.6メートルの翠(みどり)滝が流れ落ちる瓢池や、兼六園の中心にある霞ヶ池、兼六園のシンボルとなっている徽軫(ことじ)灯籠の辺りでは、紅葉も真っ盛りということで、贅沢にも秋と冬を代表する兼六園の光景を、同時に楽しむことができました。

兼六園のシンボルとなっている徽軫灯籠がある霞ヶ池

夜には期間限定でライトアップもされており、ご希望の方は日中とはまた異なる幻想的な兼六園をご覧になられる方もいらっしゃいました。

風情漂う「ひがし茶屋街」

ひがし茶屋街は金沢文化を代表する茶屋街のひとつで、作家・五木寛之の『朱鷺の墓』の舞台としても有名です。江戸時代、1820年に築かれた、ベンガラ格子の町家が建ち並ぶ情緒溢れる古い町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、地区内には144棟の建物がありますが、そのうち94棟が伝統的建造物とされています。

「茶屋」といってもお茶を飲むところでも、お茶を売っている店でもなく、茶屋とは芸妓が粋で雅な芸で客をもてなす大人の社交場のことです。「一見さんお断り」のしきたりが今も守られ、ひがし茶屋街の中には現在5軒の茶屋が営業し、10数名の芸妓がいますが、特別な人の紹介がないかぎり、茶屋の中に入ることはできません。

私たちは「広見」(ひろみ)と呼ばれる広場を歩き、見学可能な茶屋の「志摩」に入場。広見とは金沢独特の呼び方で、街路の一部が広くなっている部分をさし、現存する最古の寛文7年(1667年)の古地図によると、金沢には101カ所の広見があったとされています。広見の使われ方には伏兵を配置するための戦略的計画や、荷車の回転場所、火消しの結集地点、藩の高札や辻説法などといわれており、藩政期後半には火災予防が主な目的となったようです。

ひがし茶屋街には着物姿の女性がよく似合います
見学が許される茶屋の志摩へ

「志摩」は文政3年(1820年)に創立された格式の高いお茶屋の建物で、幾度か、暖簾の変遷は記録されていますが、典型的なお茶屋の造りをそのままに残しています。

お茶屋は2階が客間で、町屋とは異なり押入れや間仕切壁などはなく、開放的であくまでも遊芸を主体とした優美で繊細な、粋なしつらえになっています。お客が床の間を背にして座ると、その正面の控えの間が演舞の場となり、艶やかな舞や三弦などの遊芸が披露されます。1階は階高も低く囲炉裏、石室、井戸なども残され、裏舞台の面影を今に伝えています。

封建的制度の下、町方にわずかに許された娯楽と社交の場として、お茶屋には主に上流町人や文人たちが集い、琴、三弦、笛に舞、謡曲、茶の湯から俳諧など遊びも多彩で、客、芸妓ともに幅広く高い教養と技能が要求されました。

季節の移ろいに応じ、もてなしはお茶屋の建物と磨き上げられた芸事はもとより、衣装や髪飾り、宴を彩る優美な道具なども一体となって作り上げられます。このようなお茶屋の文化は後の演劇や音楽、美術工芸はもとより一般生活や風俗にまで影響を及ぼしました。

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