視察レポート
視察レポート
2021年09月09日
山形に残る明治洋風建築の傑作 旧済生館
東京支店 福島伸彦
6月下旬に秋、冬の新コースの下見で山形を訪れました。様々な場所を巡りましたが、その中でも特に感銘を受けたのが、山形市内に残る「明治洋風建築」でした。「和」でもあり「洋」でもある、何とも言えない独特な佇まいの建築には明治の時代の息吹が感じられます。その魅力の一端をお伝えします。
明治洋風建築、その魅力
明治維新の後「脱亜入欧」の号令の元、文明開化のシンボルとして日本各地に「明治洋風建築」が建てられました。鹿鳴館など都市部に建てられた建築が有名ですが、明治政府は万人の目に触れる、新しい時代の象徴としての洋風建物を重視し、日本各地に建設しました。ところが、明治初期の日本には西洋建築を学んだ職人がおらず、それまで寺院や神社を建ててきた日本各地の大工の棟梁たちが、見よう見まねで臨んだ為、独特な味わいの「和」でもあり、「洋」でもある「明治洋風建築」が各地に作られていったのです。
明治20年以降は西洋建築への理解が深まり、正確な西洋様式の建物が建てられるようになった為、それ以降「明治洋風建築」は作られておりません。僅か20年程の間しか作られなかった幻の建築群といえるかもしれません。残念ながらその多くは既に解体されてしまい、姿を消してしまっているのですが、例外的に東北の各所には明治の時代の息吹が感じられる建物が大切に保存され、残されています。
今回はその中でも白眉とされる「旧済生館本館」を訪ねました。
旧済生館本館、独特の外観
新幹線の山形駅を降りて駅前通りを北上してすぐ左手に見えてくるのが、最上家が居城としていた山形城址。城内の広大な敷地は現在市民公園として使われており、様々な施設がありますが。目指す旧済生館の本館は城内の南東方面にあり、現在は郷土資料館になっております。あいにくの雨の日ではありましたが、非常に目立つ外観の大胆な色使いは目を引き、遠くからでもそれとわかりました。
更に建物に近づき、全貌がみえてくるにつれ、建築としての奇想天外さが目に入ってきます。洋風の塔やベランダがある一方、瓦葺の屋根や時の太政大臣、三条実美公が命名した「済生館」の建物名が書かれた額が掲げられているなど、独特の味わいがあります。
済生館本館は病院として建てられたのですが、円形の回廊で中庭を挟んだドーナッツ型の建物と塔、という独特のスタイルは他にはちょっと見られないものです。設計者は伝わっておりませんが、恐らくは時の山形県令、三島がデザインしたのではないか、と言われています。県令としての三島は、近代化を目に見える形示すために、赴任先で明治洋風建築を次々と建設し、街並みを一新し、新時代の到来を周囲に知らしめたことで知られています。
旧済生館本館、建築の随所に残る和の息吹
建物の中に入ると、まず目に入るのは独特の作りです。和風の中庭を挟んで円形の回廊で8つの部屋が作られており、片方の端に塔が建てられているという、ほかには見られない様式になっています。その次に目につくのは、屋根です。一階の屋根は赤いが施された伝統的な葺き、2階の屋根は亜鉛板葺きの緑色の屋根で美しいコントラストが楽しめます。
その屋根の下の外壁構造はヨーロッパでもよく見られる張り式。板を横方向に重ね、目を下向きにして雨が室内に入らないように仕上げてあります。様々な様式の柱が建物を支えていますが、ところどころには「アーチ欄間色ガラス」が。建物の材料としてガラスが使われるようになったのは明治以降で、これも文明開化の象徴といえるかもしれません。
最後は塔の中へ。1階から2階まで少々階段を登りますが、必見と言えるのが、2階から3階にへ登るための螺旋階段です。ケヤキが用いられた階段は一見洋風ですが、よく見ると側面に唐草模様が施され、日本の職人が作ったことが分かります。
明治の息吹が感じられる貴重な建物を、山形立ち寄りの際には是非お訪ねください。
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