歴史ある風景

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2021年09月28日
オペラ「蝶々夫人」の世界を彷彿とさせるグラバー園
九州支店 柴尾祐樹
アメリカ海軍士官ピンカートンと没落藩士令嬢の蝶々夫人との悲恋を描いたプッチーニのオペラ「蝶々夫人」は明治時代の長崎が舞台です。その時代を彷彿とさせる場所が南山手に建つグラバー園。今回はグラバー邸を建てたトーマス・ブレーク・グラバーにスポットライトをあて、幕末から文明開化の長崎をご紹介いたします。
1858年、安政の開国によって横浜や神戸とともに長崎港が開港すると、アメリカやイギリスなどから続々と外国人が来航。長崎港に面する大浦海岸通りには商館や倉庫が建ち、長崎港の大パノラマを見下ろす南山手には、貿易商たちの住宅や、外国人用の教会として大浦天主堂が、その東側の東山手には領事館や学校が、と今や長崎を表すひとつの顔ともいえる西洋風の町並みが築かれてゆきました



その代表例が南山手の「グラバー園」です。開国直後に長崎にやってきたスコットランド出身の貿易商、トーマス・ブレーク・グラバーの住宅を中心として、市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築復元した公園です。



弱冠23歳でグラバー商会を立ち上げたグラバーは、幕末の動乱にいち早く目をつけ、それまでの茶や生糸の輸出から、薩摩藩や坂本龍馬などの倒幕派への武器や弾薬などの販売へ転換し、明治維新の成立に大きな影響を与えました。さらに、明治維新後は、日本初の近代的ドック小菅修船場の建設や高島炭鉱の開発、のちのキリンビールの前身となる「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」設立など、日本の近代技術の導入に大きく尽力。日本の若者たちへの支援を積極的に行い、薩摩藩の五代友厚や、伊藤博文ら長州ファイブの面々を海外留学のためイギリスへ送り出しました。その人材の多くは、明治維新後の日本の政治・経済界で活躍しており、グラバーが日本近代化に果たした功績はとてつもなく大きかったといといえるでしょう。
そんなグラバーは、1861年に長崎港を見渡すことができる丘に日本の技術と西洋の様式が融合した木造屋敷を建てて住み、ビジネスの拠点としました。当初はビジネスのため日本を訪れた外国人でしたが、多くの日本人と交流を重ね、日本を深く愛していました。日本人女性との間に子どもを授かり、そのうちの一人、倉場富三郎がグラバー邸を引きついでいます。

年明け1月27日にグラバー邸を貸し切り、長崎の夜景も楽しみながらマダム・バタフライのアリアに酔いしれるスペシャルな夜会を開催しますので、どうぞご期待ください

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