歴史ある風景

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2021年09月21日

京都に”命の水”をもたらした「琵琶湖疏水」

本社 プランニング事業本部:乗田憲一

 東海道五十三次の最大の宿場町として栄え、琵琶湖のほとりに位置する大津。市内の京阪電車・三井寺駅から三井寺へ歩いていく途中、琵琶湖疎水を渡ります。琵琶湖の水を京都へと引き入れるこの人工水路は、明治時代に完成。日本の近代遺産のひとつに数えられ、いまも現役で京都へと水を供給しています。

 激動の幕末から明治へ、新しい時代の幕開けに日本中が沸き立つのとは裏腹に、京都は意気消沈していました。戦災で市中は荒れ、遷都(奠都)により天皇や公家は皆東京へ。それとともに人口も東京や大阪へ流出。この停滞を打破しようと、第3代京都府知事に着任した北垣国道が打ち出したのが「琵琶湖疎水」計画でした。

全長2.4キロにも及ぶ第一トンネル。当時は日本最長でした。

琵琶湖の水を京都へ引くことは、いわば京都にとっての長年の夢。

 この世紀の大工事のために抜擢されたのは、弱冠21歳の新人技師、田辺朔郎でした。工部大学校(東京大学工学部の前身)で当時最新の技術や知識を学んだ田辺は、在学中に北垣知事の計画を知り、現地を調査し琵琶湖疎水工事をテーマに卒業論文を作成。これはのちにイギリス土木学会の最高賞を授与されたほど、優れた内容だったとか。莫大な予算をつける公共工事のトップに大学を出たばかりの若者を据える。当時の気風もあったでしょうし、北垣知事の懐の深さにも感心するしかありません。

「蹴上乗下船場」にあるレトロな煉瓦造りの建物は「旧御所水道ポンプ室」。山上にある貯水池に水を圧送して、京都御所へ防火用水を送るために建てられました。
<南禅寺水路閣> 第1疏水を蹴上から北へと分岐させた疏水分線の一部が、南禅寺境内を通ります。建造当初は景観にそぐわないとの声もあったそうですが、風格を感じさせる水路橋の佇まいはみごとです。
<蹴上インクライン> 疏水上流の蹴上船溜と下流の南禅寺船溜の間にある約36mの高低差を、舟を台車にのせて移動するため設置された傾斜鉄道で、当時は傾斜鉄道としては世界最長でした。

 全長11.1キロ、大津から取水して長等山をトンネルで抜け、山科を巡り、蹴上から鴨川へ。重機などもちろんなく、ダイナマイトで岩を砕き、人力で掘り進めるしかない時代です。田辺は日本で初めて竪坑を利用したトンネル掘削工法を採用するなど技術的な工夫を凝らし、多くの問題に悩まされつつも、約5年に及ぶ難工事の末、明治23(1890)年に第1疏水を完成させます。琵琶湖と淀川を結ぶ水運が通じたことで、物流は拡大。さらにアメリカ視察を経て設置を決めた水力発電のおかげで、京都の産業は大きく発展し、また日本初の電気鉄道の営業もスタート。沈みかけたかに見えた京都の町は、琵琶湖疎水の誕生をきっかけに、みごと復活を遂げたのです。

 ピーク時には旅客船が年間30万人もの人々を運んだ琵琶湖疎水ですが、自動車や鉄道の急速な発達に伴い、昭和26年には水運としての役割を終えます。長年にわたる舟運の復活を望む声にこたえ、疎水の観光船が実現したのは2018年のこと。桜の美しい春、そして紅葉輝く秋に大津~蹴上間を運航しています。

秋景色の中をゆく びわ湖疏水船
桜のトンネルの中を進む びわ湖疎水船

 ワールドでは今秋~冬にかけて「ニッポンの南を旅する」として、九州・沖縄に着目しております。来週以降は「歴史ある風景」九州編をお届けしますので、どうぞお楽しみに。

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