歴史ある風景
歴史ある風景
2021年04月20日
その昔、「豊後のローマ」と呼ばれた町、臼杵
本社 プランニング事業本部:乗田憲一
大分県、臼杵。国宝・臼杵石仏で知られています。また北の佐賀関半島は関サバで有名です。
臼杵は戦国時代、大友宗麟が収めていました。16世紀半ばに日本へ伝来したキリスト教をいち早く取り入れ、「キリシタン大名」と呼ばれた1人です。
ヨーロッパを旅すると必ず耳にする「天正遣欧少年使節団」。伊東マンショや千々石ミゲルら4人の少年は、大友宗麟や大村純忠らの名代として1582年ローマへ向かったのです。
大友宗麟は積極的にキリスト教の保護を行ない、豊後国内には80もの教会があったと言います。町には教会の鐘が鳴り響き、ポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスは自著「フロイス日本史」で臼杵を「豊後のローマ」と称したほどでした。
無論、布教と併せて行われるポルトガルとの貿易から得られる絶大な利潤があったことが、大友宗麟にとって大きかったと推測できますが、時は流れ豊臣秀吉の天下統一により、キリスト教は弾圧。これら貴重な「豊後のローマの遺跡」は取り壊され、今はフロイスたちが遺した書物の中で想像するばかりなのは、残念でなりません。
それから400年の時を経て、「臼杵のアズレージョ」が“復刻”しました。ポルトガルの著名なアズレージョ作家による伝統的装飾絵タイル・アズレージョが施され、江戸の酒蔵の白壁に映える青色が美しい南蛮文化交流施設として生まれ変わりました。
天下統一という一大事業の陰で貴重な歴史遺産が失われていた、当時は自然なことでも、今を生きる私たちにとってはもどかしい想いにとらわれます。
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