【海外】帰国しました。添乗員レポート

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2025年01月17日

【帰国レポート】 異郷セウタのパラドールとコスタ・デル・ソルの旅 9日間

<2024年12月27日(金)~2025年1月4日(土) 添乗員:東京支店 鈴木洋>

<2024年12月27日(金)~2025年1月4日(土) 添乗員:東京支店 鈴木洋>

展望台から望むセウタの町とジブラルタル海峡。遠く向こうにスペインが見えます。

711年に北アフリカ(現在のモロッコ)に駐屯していたイスラム軍のターリック将軍が「ジブラルタル海峡」を渡りイベリア半島に上陸します。以後、イベリア半島は700年近くイスラム教徒が支配しイスラム文化が花開きました。1492年にスペイン(イベリア半島)からイスラム教勢力が駆逐され、一般的に「レコンキスタ」と呼ばれるスペインによる国土回復運動が完了しました。「ジブラルタル海峡」はイスラム勢力とキリスト教徒の勢力圏を表す、まさしく国境でした。スペインのアフリカ大陸側の飛び地セウタ展望台からジブラルタル海峡を眺めた時は感動的でした。

大晦日と元旦をスペインの飛び地セウタで過ごしました!

大晦日と元旦はアフリカ大陸側のスペイン領、セウタの町で過ごしました。ポルトガル、スペイン、モロッコと様々な国の影響を受けている小さな町です。海の向こう16キロにはイギリス領ジブラルタルがあります。大晦日には皆様で新年を祝うニューイヤーディナーを楽しみました。

セウタからわずか16キロ先にあるイギリス領ジブラルタル。「ザ・ロック(アラビア語ではジブラルタルの語源となったジャバル・ターリック)」がはっきりと見えます
セウタではポルトガル支配時代の強固な要塞も見学
旧市街にある20世紀初頭につくられた実業家の邸宅、ドラゴンの家
左手にモロッコ、右手にスペインが見える展望台
大晦日のニューイヤーディナーを0時のカウントダウンまで楽しみました
大晦日の夜に12粒の白ブドウを食べる「ドセ・ウバス」。時計の針が動くたびに1粒ずつ食べ、12回の鐘の音に合わせて食べきると幸福が訪れると考えられています

モロッコでは青の町シャウエンでの滞在も楽しみました

イベリア半島においてレコンキスタが完了すると、多くのイスラム教徒がジブラルタル海峡を渡りモロッコ側のリフ山地周辺の村に逃げ戻り、定住しました。標高900mの山の上につくられた町シャウエンは、カスバを中心に防御もしっかりしていたこともあり、多くのイスラム教徒が定住し、町は発展しました。

シャウエンの町の名前の由来となった2つの角(山)
シャウエンの町中はどこも絵になります

コスタ・デル・ソルの町々を訪問

陽光溢れるスペイン南部のコスタ・デル・ソルではリゾート地マルベーリャを拠点に大きな岩塊が町を覆うセテニル・ デ・ラス・ボデガスや岩山の上に築かれたロンダの町を散策しました。どちらの町もイスラム教徒軍にとってもキリスト教徒にとっても戦略的に非常に重要な町でした。スペインで最も古く、かつ美しい闘牛場のひとつとして知られるロンダの闘牛場は非常に見ごたえがありました。川の浸食により削られた岩山の下に作られたセテニルの町も散策が面白かったです。また、スペイン内にあるイギリス領ジブラルタルの散策も印象的でした。有名な滑走路の横断歩道でも写真ストップを取りました。

ジブラルタルで有名な滑走路の横断歩道
ジブラルタルにも赤いポストがあります
ジブラルタルのナンバープレート
ロンダの闘牛場。王侯貴族が闘牛を見学するロイヤルボックスシートも上に見えます。
セテニル・デ・ラス・ボデガス。川の浸食によって削られた岩にへばりつくように建てられた家々

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