【海外】帰国しました。添乗員レポート

【海外】帰国しました。添乗員レポート

2024年02月02日

【帰国レポート】特別最短フライトでゆく神秘のイースター島探訪とタヒチの旅

<添乗員:Aコース:東京支店 山田周、Bコース:東京支店 下平裕史、Cコース:大阪支店 加藤智之>

<2024年1月19日~1月26日 8日間 添乗員:東京支店 Aコース山田周・Bコース下平裕史>
<2024年1月19日~1月30日 12日間 添乗員:大阪支店 Cコース加藤智之>

様々な歴史や文明が解明されている中、未だ解明されない謎が多いイースター島。なぜモアイは造られたのか、一体どうやって運んだのか、なぜ文明は崩壊したのか……。
この謎こそが旅人をイースター島に惹きつけるのではないでしょうか。自分なりの答えを探しに3団体38名様のお客様と添乗員3人でタヒチ経由の特別チャーター便にてイースター島へ行ってきました。

到着日の昼食はバーベキュー
ホテルでもモアイを発見(レプリカです)

イースター島滞在1日目

タヒチの中心、パペーテからエア・タヒチ・ヌイの特別チャーター便にてイースター島までは約5時間、距離にして約4100キロです。到着前に窓から島が見えてきて「いよいよ」と心も弾みます。周囲わずか一周58キロの小さな島ですが、周辺海域2000キロ以内には人が住む島はありません。文字通り絶海の孤島ですが、面積の小ささよりもその存在の大きさを感じました。

パペーテよりこれからチャーター便へ搭乗です
イースター島到着直前。気持ちが昂ります

到着後、ガイドとドライバーと合流し観光が始まりました。本日モアイはお預け。モアイ信仰の後に起こった「鳥人儀式」が行われていたという「オロンゴ儀式村」を訪ねました。外輪山に造られた当時の村は住居などが復元されていました。

火山湖を見下ろすラノカウ展望台
鳥人儀式の際に使われていた石組みの家が復元されています

見学後は、それぞれのホテルにチェックイン。夕刻、再度ホテルを出発し、イースター島チャーター企画初めての貸切教会ミニコンサートを開催しました。その様子はこちらです↓↓↓

島唯一のハンガロア村にある教会でのミニコンサートの様子

明日はいよいよモアイに出会います。

イースター島滞在2日目

ニワトリの声とともに目覚めたイースター島2日目の朝。まずは今回のツアーの予習のために「イースター島博物館」へ。実際に見学する前に、イースター島について学ぶことでより理解が深まります。島の成り立ちや、モアイを削った道具、「ロンゴロンゴ」と呼ばれる今では解読不可能な文字版、モアイの目など、小さい博物館ではありましたが、どれも見逃すことのできないものばかりでした。

非常に貴重なモアイの目。白の部分はサンゴ、赤の目玉は凝灰岩から作られています
ロンゴロンゴと呼ばれる文字。イースター島の謎を解く鍵はこの文字の解読にあるかもしれません

モアイの見どころはたくさんありますが、特に有名なのはモアイ製造所の「ラノ・ララク」、そして15体のモアイが並ぶ「アフ・トンガリキ」。火山岩の凝灰岩でできたラノ・ララクからモアイは島のあちこちに運ばれました。その運搬方法はいくつか説があるものの今でも解明されていません。そして、とある時期にピタッとモアイ製造が終わり、作成途中のもの、運搬途中のものと思われるモアイがここにはあります。最も大きなモアイは22メートルはあるというモアイも切り出し途中のものがありました。重機も鉄器もない時代、石だけでこれほどまでの大きなモアイを掘り、そして数トン~十数トンはあるとされるモアイを十数キロ先にあるアフ(祭壇)へ運んだと思うと尊敬の念を感じずにはいられませんでした。

人と比べるとその大きさがよくわかります
上から見下ろすと、運ばれようとしていたモアイが点在しているのが確認できます
凝灰岩でできたこの岩山から削られたモアイが各地へ運ばれました
イースター島最大、22メートルのモアイ像

その後、「アフ・トンガリキ」へ。イースター島のモアイというとここを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。それもそのはず。ここは日本の会社がチリ地震で崩壊したモアイをクレーンにて持ち上げ、修復を手伝ったとして知られているからです。イースター島最大の100メートルに及ぶアフの上に建つモアイを壮観。時間帯もモアイの顔に光が当たる午後の時間に合わせて訪れました。見学途中は自分が16体目のモアイになれるポイントがあり、皆様で交代で写真を撮りあいました。

モアイになった気分で一枚
モアイを修復した日本企業への感謝の気持ちを示した記念碑

この日は、最後に夕日にモアイの背後に沈む夕日へもご案内しました。モアイが倒され、悲劇の島となってしまいましたが、どこからともなく聞こえる現地の人たちの歌声とともに日が落ちていく様子を見ながら、当時の人たちはモアイに見つめられながら、そしてモアイに見守られ同じ夕日を見て、幻想的な気分になっていたのかなと感じました。

モアイの奥に沈む夕日
歌を歌いながら夕日を楽しんでいた現地の方々

イースター島滞在3日目

島で生まれ育った現地ガイド。ガイドブックにはない情報を教えてくれました
島には大型バスはありません。中型のバスでの移動となります

南十字星が満天の星空に輝く早朝、バスにて「アフ・トンガリキ」へ再び向かいました。モアイの背後から昇る朝日にチャレンジします。到着したとき、あたりはまだまだ真っ暗。モアイの背後には輝く星空がご覧いただけます。時間が経つにつれ星空が減り、黒いモアイのシルエットが確認できるようになりました。そして朝日が出ると歓声とともに、皆様シャッターを一斉に押していました。

06:30頃。星空とモアイ。別の方角にはなりますが、南十字星も綺麗に見えました
07:00頃。星が消え、空が青々と変化。夜明けから朝日にかけて変化する空の景色と、整然と並ぶモアイの姿はとても印象的
07:44。日が昇ってきました。この瞬間を待っていたとばかりに皆様シャッターを切っていました
08:00頃。日中の観光を含め、時間帯を変えて訪れることが弊社のツアーの特徴です

本日も引き続きイースター島の観光へ。モアイの頭に乗っている「プカオ」の製作所の「プナ・パウ」と女性のモアイや、まるでインカの石組みを思われる「アフ・ビナプ」などを見学しました。

モアイ以外に、今回は初めて養蜂場へ訪れました。近年イースター島の名物になっている「ハチミツ」。1860年にイースター島に持ち込まれた養蜂ですが、現在養蜂場は島でこの一つだけ。2015年から家族経営をしているそうです。非常に厳しい入国管理が行われているイースター島では、無農薬の安全なハチミツを採ることができるそうです。レクチャーを受け、ご希望の方は実際に防護服を着て養蜂箱を開けてもらい間近からご覧いただきました。

まずはイースター島の養蜂についてレクチャーを受けます
養蜂家の方。手袋をせず素手で作業していました

イースター島滞在4日目

イースター島ともお別れです。早朝に空港に向かい、チャーター便でタヒチへと戻りました。

帰りの空港の待合室にもモアイがいました。エア・タヒチ・ヌイのチャーター便とともに

かつて、ここに暮らしていた人々はモアイを眺め、そしてモアイに見守られながら穏やかな暮らしをしていたことと思います。いつしかモアイが倒され文明は崩壊。しかし、考古学者や日本の企業が中心となり修復され、再びモアイが立ち上がりました。そんな様子を見てモアイもきっと喜んでいることでしょう。1月のイースター島は乾季となります。日中の気温は25度前後、島国の割に湿気も少なく過ごしやすい季節です。またチャーター企画の際はでひその謎を求めてイースター島に足を運んでみてはいかがでしょうか。

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