【海外】帰国しました。添乗員レポート
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2024年01月29日
【帰国レポート】7つの世界遺産を訪ねる チュニジア大周遊の旅
<2024年1月8日~1月19日 12日間 添乗員:東京支店営業部 中屋 雅之>
北アフリカにあってエジプトやモロッコに比べるとまだまだ知名度は低いかもしれません。しかし、チュニジアには数多くの見所があり、一度は訪問するべき国です。この国には様々な種類の見所があります。遺跡は勿論のこと、自然の景観や雄大なサハラ砂漠、美しい街並みや聖地、そして素晴らしいホテルや食事。また、遺跡にしても地中海沿岸に多く見られるローマの遺跡ばかりではなく、それよりも古い「カルタゴ」の遺跡もあります。
今回のツアータイトルは「7つの世界遺産を訪ねるチュニジア大周遊」ですが、昨年の9月ジェルバ島が新たな世界遺産として登録されたため、今では「8つの世界遺産」となりました。その8つとは登録順に、①チュニス旧市街、➁カルタゴ遺跡、③エル・ジェムの円形闘技場、④ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡、⑤スース旧市街、⑥聖地カイラワン、⑦ドゥッガのローマ遺跡、⑧ジェルバ島です。ここでは訪問順にご紹介したいと思います。
世界遺産①ドゥッガ
チュニジアの空港「カルタゴ空港」に到着して、その日のうちにドゥッガの遺跡に向かいました。早速ローマ遺跡の観光です。ドゥッガはチュニジアに多く残るローマの都市遺跡の中でも最大級のもので、2世紀から4世紀に隆盛期を迎え、当時の人口は1万人以上だったと言われています。
入口から入るとすぐ、劇場があります。これは2世紀に建造されたもので、高さ15メートル、19段の観客席があり、現在でも夏の音楽祭に使われているほどの保存状態の良さです。
ここからジグザグのメインストリートを歩くと「風の広場」です。ここはかつて馬車の運行を左右する風の向きを読んだ場所であり、12の方角から吹く風にそれぞれ名前が付けられ、床に刻まれていました。例えば真北から吹く風は「シロッコ」と書かれていますが、この名前は現在でも使われています。
そのすぐ近くにはローマの町の中心ともいえる「キャピトル」があり、ここにはユピテル、ユノー、メネルヴァの三神が祀られる神殿がありました。その横の広場がフォーラム、更に浴場跡やローマ人の住宅跡などが良く残っています。
世界遺産 ➁聖地カイラワン
カイラワンは北アフリカにおけるイスラム教発祥の地であり、イスラム教徒にとってはメッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ第四番目の重要な聖地とされています。北アフリカの人々にとっては本来の聖地メッカはあまりにも遠く、カイラワンへの7回の巡礼はメッカへの1度の巡礼に値するとのことです。
ここで絶対に見逃せないのが「グランド・モスク」です。これは西暦670年、ウマイヤ朝時代に創建された北アフリカ最古のモスクです。ミナレット(尖塔)は最も古い型式の四角柱を三段重ねにした形を取っています。その高さは31.5m、最下段は728年建造であり、イスラム世界で最も古いものと言われています。中庭と礼拝室には400本の柱が並んでいますが、これらはドゥッガやカルタゴを始め、チュニジアの各ローマ遺跡やビザンチン遺跡から持って来られたものです。そのため、柱頭飾りの装飾や石の材質は全て異なっています。
世界遺産③エルジェム
4日目はカイラワンから日帰りでエル・ジェムへ。エル・ジェムはローマの町のコロッセオによく似た円形闘技場で知られています。その大きさは周囲の長さが400m、縦149m、横124m、鷹さ36mで収容人員は3万5千人という大きさです。この地域はローマ帝国が最も発展した2世紀から3世紀にかけて「ローマの穀倉」と呼ばれ、特にエル・ジェムの町はオリーブ・オイルの生産で急速に発展し、その富が劇場の建設資金に充てられたとのこと。
世界遺産④ ジェルバ島
ジェルバ島はチュニジアの沖合に浮かぶ島で、地中海のビーチの他、ベルベル、アラブ、ユダヤ、アフリカの文化の影響を受けた白壁の砂漠の町で知られています。「ジェルバ : 島嶼域での入植様式を伝える文化的景観」というタイトルで昨年2023年9月にユネスコの世界文化遺産に登録されました。ここで見逃せないのは、約2500年前、エルサレム神殿が破壊されユダヤ人が故郷を追われた時、一部のユダヤ人たちはここにやってきてユダヤ人の村を作りました。現在でもユダヤ人の住む地区にはアフリカ大陸最古のシナゴーク(ユダヤ人教会)があります。
世界遺産⑤ スースの旧市街
チュニジア第三の都市スースはジェルバ島と共にチュニジア随一のビーチリゾートとして知られています。紀元前9世紀にフェニキア人が造った町と言われ、その旧市街はイスラム教のアグラブ朝の時代に形成されました。今でも建設当時の姿を良く残しているため、1988年に世界遺産に登録されました。スースは町全体が城壁によって取り囲まれた城塞都市であり、城壁の高さは8mに及びます。西暦851年に建設されたグランド・モスクや8世紀に建てられたリバト要塞などに当時の面影を見ることができます。
世界遺産⑥ ケルクアン
チュニジアの地にはかつて強大なカルタゴの国がありました。カルタゴは海洋交易により大きな富と強力な海軍を有し、当時同じく勢力拡大を図っていたローマ帝国と対立。しかし、3回に亘る「ポエニ戦争」によってローマに敗れ、徹底的に破壊されてしまいました。そのため、カルタゴ時代の都市遺跡は後にローマによってローマ風に改造されたため、本来のカルタゴの遺跡は殆ど残っていません。その中にあってここケルクアンの遺跡だけはローマに征服される前に既に見捨てられていたため、破壊されることなくカルタゴ時代の町並みが良く残っています。
ケルクアンはカップ・ボン半島の付け根に位置していますが、その半島の先端が「カップ・ボン岬」です。ここは第一次ポエニ戦争の際にローマ軍が上陸し、それをカルタゴの象部隊が迎え撃った、いわゆる「カップボンの戦い」があった場所です。ここに位置するレストランで昼食を取り、海岸沿いを散歩すると当時の様子が目に浮かぶようです。
世界遺産⑦ カルタゴ
ここがカルタゴの本拠地です。大変広い範囲に広がっているので、3カ所をバスで巡りました。最初に訪れたのは「ビュルサの丘」です。ここは街で最も高い場所に位置し、ギリシャのアクロポリスに相当します。伝説によればフェニキアのエリッサ女王がここに最初の町を築いたと言われています。現在に残る遺跡は殆どがローマ時代のものですが、一部にカルタゴ時代のものも発掘されています。
次に訪れたのは「トフェの聖域」です。ここは貴重なカルタゴ時代の遺跡です。カルタゴでは最初に生まれた男の子を生贄に捧げる習慣があり、その儀式が行なわれた場所だと言われています。また近くには古代カルタゴの軍港の跡もあり、現在でも丸い形の港が残されています。
3つ目には「アントニヌスの共同浴場」を訪問。ここはローマが最も栄えた2世紀、ローマの五賢帝の一人アントニヌス・ピウス皇帝が建設した浴場跡です。ローマの都市遺跡の例にもれず、ここにはサウナ、温浴室、冷浴室、脱衣場の跡などが良く残り、当時のローマの繁栄ぶりを伺い知ることができます。
世界遺産⑧ チュニスの旧市街
1979年に世界遺産に登録されたチュニスのメディナ(旧市街)。古代のカルタゴの中心地の近くに築かれた町チュニスは現在チュニジアの首都となっています。長い歴史を持ち、7世紀に現在の旧市街の建設が始まりました。かつては城壁に囲まれていましたが、現在はいくつかの門を残すのみです。旧市街を歩くと当時の雰囲気がそのまま残され、中世にタイムスリップしたかのようです。
今回のツアーでは旧市街ばかりでなく、2021年から昨年の9月まで休館していた「バルドー博物館」や郊外のシディ・ブサイドも観光しました。
チュニジア南部の砂漠地帯も訪問
今回のツアーは12日間という長い日程でしたので、世界遺産のほかにも砂漠地帯での宿泊や「ベルベル人」の集落の見学などもお楽しみいただきました。ベルベル人は異民族に見つからないように、大きな円形の縦穴を掘り、そこから横穴を彫って部屋にしました。そして穀物倉庫として造られたのが「クサール」です。
チュニジアは北アフリカの中では小さな国ではありながら、見どころが極めて多く、本当に毎日がハイライトともいえるツアーでした。
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