【海外】帰国しました。添乗員レポート

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2023年04月22日

【帰国レポート】 世界初「史上最大のフェルメール展」と故郷「デルフトの眺望」6日間

<3月22日発・添乗員:本社営業部 下平裕史>

フェルメール展を見学するオランダの旅の2本目より戻りました。フェルメール展に関しては、3月15日発の同ツアー金子社員による帰国レポートをごらんください。私からはフェルメールの生まれ故郷「デルフト」でのフェルメールウォークについてレポートします。

【フェルメール展】

今回の旅のメインテーマとなる「フェルメール展」。「これを見るのが本当に楽しみ!」と日本の空港から心を躍らせている方もいらっしゃいました。

それもそのはず、普段は世界各所17の美術館に所蔵されているフェルメール作品の約8割がこのアムステルダム国立美術館に集結したのです。このような大規模な展覧会は過去にも事例はなく、この後もいつ行われるかわからない名の通り「史上最大」のフェルメール展でした。その様子をお届けいたします。

美術館の入り口。開場が待ちきれません。
朝の入場ですので、館内も混雑しておりません。
「フェルメール展」入場バンドを手にしていよいよ入ります。

弊社で取得したチケットは朝9時30分の入場でしたので、フェルメール展も混みあっておらずに、ゆったりとそしてじっくりとご自身のペースでお楽しみいただきました。

「デルフトの眺望」

フェルメール展に入場してまず初めに現れましたのは「デルフトの眺望」です。今回のツアーではどのコースもデルフトの観光を含めておりましたが、アムステルダムの前に既にデルフトでこの景色を見られた方、これからこの景色を見に行く方といらっしゃいましたが、皆様様々な想いでこの「デルフトの眺望」をご覧になられたことと思います。

また、この距離感で絵画をご覧いただけることに驚かれた方も多くいらっしゃったかと思います。「最初の『デルフトの眺望』には胸を打たれた」というお声もあったほどです。

あの「真珠の耳飾りの少女」もこの距離で。
いろんな角度からご覧いただけます。

絵画を鑑賞する際、様々な角度からご覧いただけるという面白さがありますが、ここまで間近でご覧になれるのもなかなか貴重な機会であると感じました。絵の具の凹凸を見ながら画家・フェルメールはどのような筆遣いをしたのか、彼の作品の特徴である「光」はどのように生み出されているかなど想像を巡らせれば、さらにその絵の深さに引き込まれます。正面から、右から、左からと、自分の思い通りにご覧いただける、絵画ファンには至極の時間であったに違いありません。

ご見学を終えた方からは「あんなにじっくり観られると思えなかった」「人気の絵画が目の前で、凄い感動でした!」など、絶賛の声を数多くいただきました。

フェルメールの生まれ故郷「デルフト」でのフェルメールウォーク

ロイヤル・デルフトにはレンブラントの夜景のデルフト焼きがありました
フェルメールが愛したラピスラズリ

デルフトの眺望が描かれたその場所へ

1632年にデルフトに生まれたフェルメール。今回の旅ではデルフトに2連泊し、その散策を「フェルメールウォーク」名付け、約3時間かけてフェルメールゆかりの地を辿りました。ホテルを出発し、まずご案内したのは「デルフトの眺望」が描かれたといわれるポイントへ。フェルメール展で事前に実際の絵画を目に焼きつけていただいた後でしたので、絵画と現在の景色との違いに注目しながらご覧いただけました。デルフトの眺望が描かれた6年前に火薬庫が爆発したことから、この絵画はフェルメールが想像で描いたというガイドもいれば、爆発後の復興した実際の様子が描かれているという2つの意見があるとの説明も興味深いものでした。

デルフトの眺望の舞台

フェルメールが眠る「旧教会」

その後、旧市街へ戻り、フェルメールが埋葬されている「旧教会」へ。ちょうど10時に入り口の扉が開き内部へ入りました。プロテスタントの教会なので、内部は宗教画や聖像はなく非常にシンプル。美しいステンドグラスを見ながら奥へ進むと床には多くのお墓があり、その一つにフェルメールと描かれた刻印がありました。皆様で写真を撮りましたが、実は実際にこの下に眠っているわけではなく、この教会のどこかに埋葬されているとのこと。教会を出る際には、突然パイプオルガンの演奏が始まり、皆様で一旦足を止めてフェルメールも聴いたであろう音色に聴き入ってしまいました。
この教会は地盤沈下のため、傾いた教会としても知られています。運河沿いから眺めてみるとよくわかります。

フェルメールのが眠る標識
運河沿いに立つ旧教会

まだまだあります。デルフトに残るフェルメールの面影。

旧教会の観光を終え、町の中心マルクト広場へ。この一角にある現在お土産屋さんとなっている建物はフェルメールが実際に9歳から住んでいた場所。もちろん、今は建て替えられていて当時の建物とは別ですが、かつて父親が宿屋をしていた場所でした。その建物の看板には「フェルメールの生家」と書いてありますが、現地ガイドによると実際に生まれたのはここではなく、この場所から少し歩いたところに生家があるそうです。運河沿いを歩くと見えてきたのが「小路」の絵画が描かれたとされる場所があって、ここもご案内しました。
午後の自由行動ではご希望の方を、フェルメールセンターへご案内しました。(複製ではありますが)フェルメールが描いたすべての絵画をご覧いただけるゆかりの地へとご案内しました。

広場の一角にはフェルメールが暮らしていた家があります
「小路」が描かれたとされる場所

フェルメールの絵画に触れ、実際にその絵画を描いたと思われる場所に立ち、同じ景色を見る。わずか43歳で短い生涯をとげたフェルメール。彼が今なお人々を魅了し続けるそんな原点を垣間見ることができた旅でした。

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