【海外】帰国しました。添乗員レポート
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2023年01月11日
【帰国レポート】年末年始「ポルトガルの郷愁」の旅に行ってきました
2022年12月31日(土)~1月8日(日) 9日間 本社 福島伸彦
12月31日より、ポルトガルの旅へ行ってきました。初日と最終日以外は全般的に天候に恵まれ、クリスマス休暇など大勢の観光客で賑わっていました。(※カメラ破損の為、写真は添乗中に撮影したものではありません。誠に申し訳ございません。)今回はポルトガル北部の魅力をご紹介します。
北の都・ポルト
レコンキスタの最中に生まれたポルトガルは北から国が始まっている為、歴史の古いもの程、北に残されています。その北の中心都市がポルト。街中に残る、大航海時代の面影を感じさせる多くの史跡をご紹介します。
サンフランシスコ教会
14世紀に建てられた当初は、フランシスコ会派の修道院付属教会らしく、内装は素朴で素朴なものだったのですが、ポルトガルがブラジルを植民地化し、現地で採れる金をポルトガル本国に吸い上げるようになると、総計300㎏(フランス軍が剝がしていったので、現在は推定200kg)もの金を贅沢に使った「金泥(きんでい)様式」と呼ばれる極めて華美なポルトガル独特の技法により作り直されました。壁面には、日本の長崎におけるキリシタンの殉教のシーンをはじめ、様々な祭壇もあります。なかでも一番迫力があったのが、キリストの家系図を表す「ジェッセの樹」複雑で精緻な彫刻が見事。
カルモ教会
側面にはポルトガル全土も最大級のアズレージョがある、ポルトを代表する教会の一つ。
ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区
ポートワインの産地はここ。昔は伝統的な船、ラベッロを使って遥か上流のブドウ生産地域からここまで樽詰めのブドウの原液を運んでいました。今でも50社以上のポートワインの熟成工場が並びます。
サン・ベント駅
かつての女子修道院の建物を駅に改装したもので、内部にはジョルジュ・コラッソ作の約2万枚のアズレージョで彩られています。最上段のアズレージョは輸送の歴史、中下段にはポルトガル北部の伝統や歴史を描いています。
ポルトの北部、ミーニョ地方
ポルトガル北部のミーニョ地方は一般的なポルトガルのイメージとは異なり、雨量もそれなりにあって、あたり一面に緑が広がります。移動中は何か所か濃い霧も発生しており、幻想的な景観もご覧いただけました。
ローマ時代に起源をもつ町、ポンテ・デ・リマ
「ポンテ」とは「橋」を意味し、街の名前の意味は直訳すれば「リマ川にかかる橋」となります。その名の通り、1世紀のローマ時代にローマ軍がスペインまで続くローマの道を建造する為にこの地に橋を建設したのがこの街の始まりです。その後、1125年にポルトガル初代国王の母であったテレサがこの地を気に入って住むようになってから、街には2週間に一度の市場開設権など様々な特権が与えられ、急速に発展。歴代の国王も戦略的に街を重視した為、継続的に反映し続けました。その結果、現在の旧市街には12世紀から18世紀にかけての様々な時代の建物が残され、ポルトガルが国として歴史的建造物を修復に取り組む際に多様性に富んだこの町をモデルケースとして街を取り上げたほどです。実際に旧市街を歩いてみるとデザインが異なる様々時代の建物がありながら、不思議と統一感のある中世の小さな街並みをご覧いただけました。
ソアージョ村のエスピゲイロ(高床式穀物倉庫)
村はずれの大きな岩の上に15棟ほどの(高床式の石倉)の群れがあります。地盤の傾斜に応じて鼠返しのある束を立ており、素朴ながら細やかな石の細工もみられます。トウモロコシなどの穀物収納に使われており、幾つかの倉庫の中には実際にトウモロコシがいまでも収納されているのが見えました。軒の端に十字架が建てられているのは、一説によれば教会が建設の際に出資し、村人はその後、仕様料として収穫の一部が教会に献上されていたとも言われます。
ポルトガルの生まれた街、ギマランイス
ギマランイス城
中世の無骨な外観を今に残す10世紀に建てられた城で、ポルトガル建国の地、アフォンソ・エンリケスもここで生まれています。
近年急速に失われつつある、ヨーロッパの田舎が色濃く残る、魅力溢れるポルトガルをぜひお訪ねください。
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