【海外】帰国しました。添乗員レポート

【海外】帰国しました。添乗員レポート

2022年10月24日

【帰国レポート】美しきクロアチア・スロベニアとモンテネグロの旅 【10日間】

2022年10月9日(日)~10月18日(火)10日間 東京支店 酒井康行

<10月9日発・添乗員:東京支店 酒井康行>

 コロナ禍以降、初めての再開となった「クロアチア・スロベニアとモンテネグロの旅」。かつては人気の訪問地で、年に何回も出発していたために、既に行かれた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。このたびは、以前と変わった点や今の現地の様子を皆様にご紹介致します。

【ドブロヴニクからスプリットへ、ボスニア・ヘルツェゴビナを経由せずに移動】

 人気の観光地ドブロヴニクが、実はクロアチアにおける「飛び地」に位置しているということをご存知でしょうか。クロアチア領に食い込むように内陸国ボスニア・ヘルツェゴビナが、僅か9kmだけですが海岸線を有しており、それによってクロアチア領は分断されています。
 その歴史は17世紀にまで遡ります。オスマントルコはクロアチア内陸部の領土を占領していましたが、ハプスブルク帝国が1699年に奪い返すと、この一帯はドブロヴニク領となりました。ところが、ドブロヴニク共和国がオスマントルコに割譲を要求しなかったために、引き続きオスマントルコ領が継続されたのです。というのも、この一帯より北側はベネチア共和国の領土で、ドブロヴニク共和国は敵対するベネチア共和国との間にオスマントルコ領という「防波堤」を設けることで、ベネチア共和国の脅威を弱めようとしたのです。
 やがて、オーストリアがダルマチア全域を支配し、さらに旧ユーゴスラビア時代を迎えると、この「回廊」は消滅していましたが、1991年、クロアチアがユーゴスラビアから独立を果たした時に、かつての国境線が再び浮かび上がってしまったのです。
 ということで、ドブロヴニクからスプリットへ北上する際には、かつてのツアーでは、クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビニアの出入国審査を行わなければなりませんでしたが、2022年7月26日にペリェシャツ半島とクロアチア本土とを結ぶ全長2404mの「ペリェシャツ橋」が開通したおかげで、ボスニア・ヘルツェゴビナ領を経由せずに移動することが可能となり、大幅な移動時間短縮が実現されました。

開通後間もない「ペリェシャツ橋」。手前がペリェシャツ半島で、対岸がクロアチア本土です。

【欧米諸国からの観光客は、ほぼ戻ってきています】

 このたびは、クロアチアやスロベニアのハイライトとも言うべき観光地、ドブロヴニク、スプリット、プリトヴィッツェ国立公園、ポストイナ鍾乳洞、ブレッド湖、リュブリャナなどを巡りましたが、いずれの町や公園にも、ほぼコロナ禍以前のように観光客で賑わいを見せておりました。
 また、ドブロヴニクや日帰りで訪ねたモンテネグロのコトルには、やはりコロナ禍以前のように大型クルーズ船が就航しており、下船観光客も相まって、より一層の賑わいぶりでした。クルーズ船の乗船客の国籍は多様で、欧米諸国の方に加え、中国や台湾、マレーシアなど、アジアからのツーリストも沢山いらっしゃり、一般のツアーよりもクルーズ旅行の方が、久々の海外旅行として選ばれる方が多いような気がしました。

航空機からみたドブロヴニク港、たくさんの大型クルーズ船が見えます
スルジ山に向かうロープウェイ乗り場にもクルーズ客による長蛇の列が出来ています
ドブロヴニク旧市街の入口にあるオノフリオの大噴水
ドブロヴニク旧市街の目抜き通り
コトルに停泊している大型クルーズ船
賑わいを見せるコトル旧市街、アジアからのツーリストも多かったです
スプリット旧市街の南門付近。スプリットはディオクレティアヌスの神殿自体が旧市街になっています。
プリトヴィッチェ国立公園のホテルも、ご覧の通りの活況ぶり
ポストイナ鍾乳洞内
リュブリャナ旧市街
ブレッド湖に浮かぶブレッド島へは手漕ぎの小船で向かいます。左下、階段の下にたくさんの小船が見えますでしょうか。

この記事に関するキーワード

お気軽にお問い合わせください

電話相談はこちら

受付時間:午前9:30~午後5:30

東京
03-3501-4111
大阪
06-6343-0111
名古屋
052-252-2110
九州
092-473-0111
札幌
011-232-9111
藤沢
0466-27-0111