【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2021年03月26日

【帰着レポート】中世の国際都市・堺を歩く

2021年3月18日(木)~2021年3月19日(金) 2日間 添乗員:大阪支店 室屋正治

<3/18発 添乗員:大阪支店 室屋正治>

中世日本で南蛮貿易港として発展し、戦国時代には有力商人の力により自治的な都市運営が行われた日本を代表する国際都市であった堺。大和朝廷時代から大航海時代、戦国時代を駆け抜け江戸時代まで、世界とのつながりや日本の歴史に重要な役目を果たしたことはよく知られています。かつての町割りが残る旧市街や堺を支えた職人たちの文化にも触れ、このたびは東洋のベニスと謳われた堺が最も輝いていたころの面影を辿りました。

そして同じく中世に浄土真宗の寺院を中心に堀や土塁で防御した宗教自治都市として栄え、江戸時代には地の利を活かして一大商業都市として幕府の直轄地となり、今でも江戸の町並みを残す重伝建・富田林の寺内町もあわせて訪れました。 この旅の舞台は、今ではどちらも一見のんびりした町ですが、500年前の堺は国内最先端の世界に開かれた都市であり、富田林もまたかつては日本随一の一大商業都市でした。実際に歩いてみると、見た目は何気ない日常にも見える町並みが、実は「そうなんだ!」と驚くことが随所にあり、歴史好きの方・街ぶら好きの方にはたまらないこだわりの旅です。

堺の旧市街はリアル日本史の世界

宿泊ホテル、アゴーラリージェンシー大阪から旅はスタート。

まず訪れたのは、創業天文元年(1532年)の老舗和菓子店「本家小嶋」です。ここは500年にわたって伝統の味を守り続けている堺随一の老舗で、リアルタイムで近所に住んでいた千利休がお客様として訪れ、ここの名物の芥子餅を愛してやまなかったのだそう。他にも南蛮貿易がもたらした珍しいスパイス、なかでもシナモンを使ったニッキ餅が人気商品です。普段から午前中には売り切れるほど人気で、今回は完売しないように午前中早速訪れました。ちなみに包装紙に使われる絵を描いたのは、夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿絵で有名な洋画家の中村不折だそうです。 続いて訪れたのは、堺の歴史、文化、そして堺が生んだ2つの顔、千利休と与謝野晶子の足跡をわかりやすく展示やCGを駆使して紹介している博物館「さかい利晶の杜」。エントランスには中世ポルトガルが作った日本地図や江戸期の堺の地図が大きく引き伸ばされてありました。地図には、“MEACO(京)”と“SACAY(堺)”の文字がはっきりと書かれており、堺が日本の中心的存在だったことがわかりました。学芸員さんに案内され、1階の千利休茶の湯館、2階の与謝野晶子記念館と順番に見学しました。1階では、利休の生きた中世の堺を展示。展示パネルに触れると、利休の声が。声は堺出身の歌舞伎俳優で堺親善大使の片岡愛之助が担当したそうです。2階では、与謝野晶子の足跡を辿る展示が。晶子の生家、和菓子商・駿河屋の店先が再現されていました。教科書にも載っている堺を、あらためて深く知ることができました。

千利休と与謝野晶子、堺が生んだ2人の足跡を知ることができるさかい利晶の杜
本家小嶋の芥子餅の箱には利休の挿絵が

午前の観光後、徒歩で昼食のレストランへ。かつてそこにあった丹治煉瓦会社の事務所で120年前の煉瓦造りの建物をリノベーションしてレストランにされている、地元で人気のレストラン「創作イタリアン丹治」でお召し上がりいただきました。レストランの前には仁徳天皇陵へと続く参拝道があり、ふとした風景から歴史の町・堺を感じることができます。

レトロな煉瓦造りの洋館をリノベーションした創作イタリアン丹治
創作イタリアン丹治の眼の前の通りにある石柱には仁徳天皇陵参拝道とある

南宗寺抜きには語ることができない堺の歴史

昼食後、「南宗寺」へ。ここは、弘治3年(1557年)に戦国武将・三好長慶が、父・元長の菩提を弔うために創建したもので、このときに千利休の師だった武野紹鴎も財を投じて協力し、南宗寺は茶の湯の発展に大きく寄与した千家の聖地でもある場所です。釈迦如来を安置した禅宗様式の仏殿の天井には、狩野信政筆の“八方睨みの龍”が描かれ、どこにいても逃げられないぞと言わんばかりの龍と目が合うのが非常に迫力がありました。また、利休を中心とした三千家の供養塔もありました。三千家が一堂に会する場所は、世界でもここだけだそうです。この寺には、歴史のミステリーともいえる伝説が残っていて、大坂夏の陣で総崩れになり本陣を逃れた徳川家康は、籠に乗って逃げる最中に後藤又兵衛の槍に突かれ、堺までは落ちのびましたが、南宗寺で籠を下ろすと既に息絶えており、遺骸は南宗寺にしばらく隠し、のちに日光へ移葬したと・・・実際に無銘の墓があったり、唐門の屋根瓦紋には徳川家の三つ葉の葵が残されています。史実かどうかはさておき、地元では昔から信じられていることなのだそうです。

千利休が修行し、沢庵和尚が住職をつとめた禅寺の南宗寺
境内にある家康の墓との言い伝えのある無銘の墓

多くの日本初を創り出した堺職人の心意気を感じる

続いて、訪れたのは、おぼろ昆布の名店「郷田商店」と老舗の三味線屋「つるや楽器」。郷田商店は、戦後すぐの昭和21年創業で、昔から昆布の加工業が盛んだった堺で今でも昔ながらの製法で昆布加工をしている名店です。堺の刃物職人との切磋琢磨の中で造られた堺の“お家芸”的な名物、おぼろ昆布は看板商品です。酢の香りがする工場の中を社長自らご案内してくれました。つるや楽器の創業は文久2年(1862年)で、全国的にも数が少なくなった、堺で唯一の三味線の専門店です。もともと三味線は、かつて琉球帰りの船乗りが堺の琵琶法師に土産で持ち帰ったサムシェンという楽器を改良することから始まったそうで、なんと堺が発祥なのだとか。店のご主人から三味線の歴史や構造、作り方など丁寧に解説いただきました。棹の部分に使われる紅木はインドからの輸入で、最近は非常に貴重なのだとか。実際に張られる前の犬や猫の皮も見せてくれ、三味線の迫力ある音色も聞かせてくれました。

堺が発祥、三味線一筋の老舗・つるや楽器
郷田商店の昆布加工に使われる酢は創業当時からの秘伝のものだそう

翌日の午前中は引き続き堺の散策へ。ホテルをチェックアウトする前、ご希望の方はホテルの近く、堺旧港の周辺をお散歩いたしました。中世、南蛮貿易で発展した堺の中心となる港がここにあり、開拓と拡大を繰り返し、江戸時代には現在のような姿になりました。今では、ウォーターフロントに遊歩道が整備され、地元民の散歩コースにもなっています。今でもかつての面影を見ることができます。旧港へ向かう途中、堺魚市場へも立ち寄りました。ちょうど9時までは開いており、新型コロナウイルスの影響で営業している店舗はちらほらでしたが、雰囲気は味わうことができました。この魚市場も古くからある歴史あるものです。江戸時代の地図にはすでにこの地にあったことを見ることができます。しばらく歩いていると、港に向かって立っている像がありました。この像は呂宋助左衛門で、彼は堺を本拠地として東南アジアのルソン島すなわちフィリピンまで海を渡り貿易商を営んだ人物です。時の天下人・豊臣秀吉にルソン島で仕入れた「壺」を献上し、秀吉はこの壺を見て心を動かしたそうです。そしてさらに大阪湾の方へ目を向けると、堺を見守る龍女神像、そしてさらに遊歩道を進むと、旧堺燈台がありました。国の指定史跡にもなっている日本最古の木造洋式燈台で、明治10年に建造され、昭和43に役割を終えたものです。今は堺のランドマークとして静かに堺の港を見守っています。面影を辿りながら散歩すると、かつての繁栄が目に浮かぶようでした。

堺旧港には呂宋助左衛門の像が
江戸時代の地図には今と形が変わらない堺旧港が描かれています

ホテルに戻り、チェックアウトののち訪れたのは、「堺市立町屋歴史館・清学院」です。ここは、江戸時代後期の修験道寺院で、天正元年(1573年)に開かれたものです。厄除けや祈祷など地域の庶民たちの信仰の場であり、江戸時代後期から明治時代初期にかけては寺子屋としても利用されました。日本人で初めてヒマラヤ山脈を越えてチベットへと入った河口慧海も実はここの寺子屋で学び育ったひとりです。今は国の登録有形文化財になっている不動堂に安置されている本尊の不動明王坐像が地元の人々の心のよりどころとなっています。

続いて、老舗の線香屋「薫主堂」です。創業は明治20年(1887年)で、今でも昔ながらの製法を守りながら天然の原料だけで線香を作っているお店です。実は、日本で初めて線状のお香(線香)が作られたのは堺で、南蛮貿易で堺の港に入ってくる沈香や伽羅などを用いて製造されたのが始まりなんだそうです。店内に入ると、何とも言えない甘くてスパイシーな香りがいたしました。 そして老舗の包丁・日本刀の鋳造工房「水野鍛錬所」へ。ここは明治5年(1872年)に創業し、今でも伝統的な製法で刀を製造している工房です。店内には包丁がずらっと並んでおり、見るだけでも圧巻でした。この工房を有名にしているのは、丁寧に作られた包丁だけではなく、戦後の法隆寺の大改修の際に、国宝五重塔にある九輪の四方にかかっている“魔除けの鎌”を鋳造し、昭和27年に奉納したことです。魔除けの鎌は、300年に一度しかかけかえられないもので、実際に造られた本物の鎌もご覧いただくことができました。堺職人の心意気が伝わってくるようでした。こういった職人技が、刀から鉄砲、そして今は自転車にまで、ものづくりの精神として受け継がれています。

鞴(ふいご)のある古い工房で伝統を受け継ぐ包丁・日本刀鋳造工房、水野鍛錬所
薫主堂では伝統の製法で今でも線香が造られている

時代の息吹を感じる、生きている”建築博物館”・富田林の寺内町

午後は、専用バスにて堺の隣町、富田林へ向かいました。富田林は中世の宗教都市、江戸時代には一大商業都市だったことでも知られ、歴史ある寺内町を散策いたしました。寺内町とは、寺院を中心に堀や土塁などで防御した宗教自治都市のことで、富田林の寺内町は永禄初年に誕生しました。京都興正寺の証秀上人がここを訪れ、荒れた土地を百貫目で購入、近隣の4つの村から8人の有力者を集めて興正寺別院を建立し、八人衆の合議制のもとで御坊を中心とした町づくりが行われました。江戸時代には、幕府の直轄地となり、寺内町の南部を流れる石川の水運、東高野街道と千早街道が交差するという地の利を生かして商業都市としても発展しました。町を歩くと、450年前の生活や文化をひしひしと感じることができました。寺内町内には約600棟の建物があり、そのうち200棟が江戸から昭和中期の建築で、そういったかつての町割りが見ることのできる貴重な場所として評価され、今では大阪府内で唯一の重伝建に選定されています。実際に建物内に入ることのできる重要文化財「旧杉山家住宅」にもご案内。この建物は、代々造り酒屋を営んでいた寺内町の創設期からの旧家です。明治の終わり頃、堺の与謝野晶子らとともに活躍した明星派歌人の石上露子はこの家で生まれました。敷地内には露子ゆかりの展示が多くありました。

旧家の白壁が連なる寺内町を歩くと、まるでタイムスリップしたような感覚に

今回は堺で1泊し、知れば知るほど奥の深い堺と富田林をじっくりと訪ねました。地元ガイドさんの熱心な説明を聞きながら訪れることで、聞いたことはあるけどあまり知らない魅力を感じていただけたと思います。旅はそぞろ歩きが本当に面白い、あらためてそう感じることのできた旅でした。

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