視察レポート

視察レポート

2021年04月28日

埼玉日光 東照宮宮大工たちの壮麗な彫刻美と国宝に出会う

先々週末、埼玉の熊谷にある妻沼聖天山・歓喜院(めぬましょうてんざん・かんぎいん)へ行ってきました。

「青天を衝け」の渋沢栄一生誕の地としてその名を全国に知らしめる熊谷。利根川の豊かな水の恵みをいただき、一面に田畑が広がり(夏は米、冬は麦を栽培)、川を越えるとすぐそこは群馬県の太田市。滔々と流れる利根川の向こうには、赤城山や男体山が聳えています。訪れる前には全く想像もしていなかった何とも長閑で美しい風景が広がっていました。

男体山や赤城山、利根川との位置関係がよくわかる。
こんな間近に赤城山を眺められる。土手の向こう側には利根川が流れる

歓喜院・参道1番目の門、貴惣門

平安時代、平清盛が軍勢を率いて京都を制圧した年に、聖天様を祀るためにこの地に創建され、源頼朝も参拝し、江戸時代に一旦焼失した後は、家康が再興するなど名だたる武将に庇護されてきました。その源は、高野山真言宗の仏教寺院であり、日本三大聖天の一つとされています。

まず目の前に飛び込んでくるのは、参道1番目の門、貴惣(きそう)門。3つの屋根の破風よりなっているこの独特の様式の建築は、日本に4棟現存しているそうですが、この規模の大きさは他に例が無いそうです。江戸中期から末期にかけて100年以上の時を費やし、完成した威風堂々たるこの門を下から眺めると細かいところまで彫刻がなされていて、江戸芸術の粋を感じることができます。到着したのがちょうど日が落ちかける頃。木々から西日が照らされてほんの数百メートルですが心地よい散歩道が続きます。

参道第一の門、貴惣門の堂々たる姿

創建当時の姿を今に残す中門

さらに進むと中門が見えてきます。歓喜院本殿は江戸初期に一度火事で焼け、中期に再建されたものですが、この中門だけは、唯一焼けずに残されています。屋根は銅板葺になっていますが柱や造りは歓喜院創建当時のものです。華美な装飾もなくシンプルかつ堂々たるもので室町時代を偲べます。当時の人がこの同じ門をくぐったことを考えると、600年以上もの時を隔てて通る門に時代を越えた感動を覚えました。

貴惣門から参道、中門を眺める
参道脇にある「いがまんじゅう」で知られる老舗
室町時代から残る歓喜院最古の中門。シシンブルながらも見事の一言
明治に再建された仁王門をくぐり、奥の御本殿へと進む

埼玉の国宝、御本殿 妻沼聖天山・歓喜院

最奥には鎮座する御本殿。奥殿・中殿・拝殿を結ぶ権現造です。斎藤別当実盛(さいとうさねもり)公は聖天宮を開創してから何度も修復・再建したそうですが、江戸初期に災火のため前述の中門を残して焼失したため、現存する御本殿は、江戸時代中期に再建されたもの。特に見事な木彫には目が釘付けになりました。家康公亡き後、3代目家光公により手掛けられた日光東照宮のあの木彫美を勝るとも劣らない木彫りの数々。日光東照宮を手掛けた棟梁たちが建設したこの歓喜院は、まさに江戸に花開いた職人たちの芸術性が溢れた地。その細微に渡るまで表現された木彫と豊かな色使いを見るだけでも訪れる価値はあると確信いたしました(御本殿は国宝です)。

御本殿に参拝する地元の方々を後ろから一枚
緻密で表情豊かな彫刻美
国宝御本殿の見事なまでの彩色と木彫
圧巻の極彩色の世界が広がる
国宝御本殿の正面から対峙する
細かい部分まで見事な木彫に目を奪われる。江戸の芸術美を堪能

日光東照宮の棟梁たちが築き上げた「埼玉日光」こと妻沼聖天山・歓喜院。江戸中期の芸術をここで見ることができます。今や時の人ともいえる渋沢栄一の生家の近郊にあります。東京からすぐ近くにまだ知らない魅力が沢山あることを改めて実感しました。

東京支店 松﨑浩

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