歴史ある風景
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2021年02月16日
日本の誇り。近代大阪が残したレトロ建築
本社 プランニング事業本部:乗田憲一
大阪・中之島。秀吉が目を付けて以来、全国の商人が集い、京・琵琶湖を水路でつなぎ、日本一の経済都市となった大阪の象徴です。「天下の台所」と呼ばれ、全国の大名の蔵屋敷がずらりと並んでいました。開国後、歴史の表舞台から姿を消した中之島は、約半世紀の時を経て華やかな「復活」を遂げます。1918年、ある実業家が多額の寄付をして中之島に誕生した大阪中央公会堂。「市民の、市民による、市民のための」公会堂は、水辺にあることが意識され、遠目からみても実に美しい。町の繁栄は商人と水運によって生まれたことを象徴する大阪のシンボル的存在です。
中之島の南には江戸時代に区画整備された町人の土地がそのまま残っていて、多くのレトロ建築が民間により次々とつくられました。神戸や横浜と比べると各々個性が際立っていて見ていて面白い。実は大阪港は当時、水深が浅く神戸や横浜のように外国船が入港できず、居留地が発展しなかった、つまり外国人による建物が極端に少なく、「憧れの西洋建築」を自分たちの解釈で「ニッポンのレトロ建築」を創りあげたのです。
その原動力こそが商人の魂。生駒ビルヂングや芝川ビルのように自分たちを売り込む確固たる個性としての建築、大阪倶楽部や綿業会館のように信頼関係を築く「社交場」としての建築が生まれました。
「西洋」に寄せていくのではなく、自らの文化に「西洋」を合わせる、これこそ、商都・大阪を象徴しており、日本の誇りと密かに思っています。
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