町並み百選
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2021年03月04日
庄内藩酒井家250年の城下町 鶴岡の町並み
プランニング事業本部 吉田義和
2月19日のコラム「徒然ウィークリー」にも登場しましたが、2月13日、ちょうど前回2週にわたりご紹介した盛岡へ、社長の松本、東京支店長の福島と盛岡に視察に行っておりました。夜、視察写真をまとめ、そろそろ寛ごうかという時間に福島県沖地震が発生しました。幸い盛岡は被害がありませんでしたが、翌朝早起きして交通事情を確認すると、やはり東北新幹線は不通。午後には順次復旧という噂もありましたので、福島と朝運行していた高速バスに飛び乗り仙台へと移動しました。仙台でも新幹線が動かなかったので、結局バスで本州を横断し鶴岡へ。ここから羽越本線で新潟を経由して東京へ。と、ギリギリのところで当日に東京へと戻ることができました。その後のニュースで東北新幹線が2週間不通と聞き、肝を冷やしました。さて、今回はそんな東京への戻る道筋で運転再開までの時間を使い歩いた鶴岡の町をご紹介します。
庄内の城下町として栄えた鶴岡
庄内地方というと米どころというイメージが強く、それと並行して山居倉庫周辺の風情など、酒田を思い浮かべる方が多いかもしれません。酒田は北前船の寄港地として商業が栄え、江戸時代には「西の堺、東の酒田」とまで言われるようになります。対して鶴岡は庄内藩の行政の中心として、落ち着いた城下町が形成されました。現在でも見どころの中心は鶴岡城周辺にまとまっています。鶴岡城は江戸時代、徳川四天王の一人酒井忠次の孫、酒井忠勝が藩主となり、以後江戸時代を通じて酒井家がここ鶴岡を拠点に藩政を取り仕切りました。天守は取り壊されましたが、明治初期には旧藩主を慕う地元の人々によって天守跡に神社が建てられ、現在でも総鎮守として人々に愛されています。城内には『たそがれ清兵衛』などで知られる鶴岡出身の時代小説家藤沢周平の記念館もありますので、小説がお好きな方はぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。小説に登場する架空の「海坂藩」は庄内藩がモデルとなっています。
城の周囲には観光スポットがいくつかありますが、象徴的なのは致道館と致道博物館でしょう。致道館は9代藩主が藩政の刷新を図るため建設した藩校で、各藩が幕府の方針に従い朱子学を藩学としたのに対し、庄内藩では荻生徂徠の提唱する徂徠学を藩校とし、個性伸長の教育が為されたそうです。城郭を挟んで西にある致道博物館には、明治時代の洋館建築の傑作、旧西田川郡役所や旧鶴岡警察庁舎などが移築展示され、江戸時代以降の庄内地方の文化度の高さが伺えます。
かつての町人町、山王通りを歩く
城下町から内川を渡ると、かつて町人町として賑わった山王通りに出ます。現在は商店街になっていますが、蔵造りの建築などかつての面影も残します。通りの由来となっている山王日枝神社までは、店を眺めながらのぶらぶら歩きも楽しいもの。鶴岡の和菓子の名店「木村屋」に立ち寄ってみました。「あんぱん」でお馴染み銀座木村屋總本店から暖簾分けで開業し130年という鶴岡地区の老舗です。鶴岡では冬の風物詩という水ようかんも試食しましたが、上品な餡がとても美味でした。山王日枝神社には松尾芭蕉が奥の細道道中で詠んだ「珍しや 山をいで羽の 初茄子び」の句碑も残されています。松尾芭蕉は鶴岡で庄内藩士の屋敷に3泊し、出羽三山巡礼の疲れを癒したと言われています。
日本を代表する「美食の地」として
鶴岡は出羽三山の修験道による精進料理をはじめ、庄内地方の米や野菜、日本海の海の幸など豊富な食材を利用した食文化が栄えた町でもあり0214年に「ユネスコ食文化創造都市」にも選ばれました。鶴岡の食の代表的存在がレストラン「アル・ケッチァ―ノ」です。昨年からご好評いただいている弊社の「地方の美食学+旅」。現在は全国のレストランやシェフにご協力いただき拡大しておりますが、企画の最初に挙がったのが「アル・ケッチァーノ」でした。地元の食材にこだわり、鶴岡を「食の町」として振興する情熱を持って活動されている奥田政行シェフは「ローカル・ガストロノミー」の先駆者的存在。鶴岡を訪れたらぜひ訪れていただきたい名店です。
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