【海外】帰国しました。添乗員レポート

【海外】帰国しました。添乗員レポート
2024年11月06日
【帰国レポート】東トルコ・ネムルート山とギョベクリ・テペの旅11日間
<2024年10月14日(月・祝)~10月24日(木) 添乗員:東京支店 中屋雅之>
一昨年に続き、東トルコの旅に添乗してまいりました。今回は世界最古の遺跡、ギョベクリ・テペも加えた内容豊富な旅です。見どころは極めて多く、ネムルート山はもちろんのこと、ノアの方舟で知られるアララト山の雄姿、中世アルメニア王国の首都跡であるアニ遺跡、美しい湖ヴァン湖とウラルトゥ王国の遺跡など、まさに毎日がハイライトともいえる旅です。
紀元前1万年のギョベクリ・テペとカラハン・テペ
今から1万2000年前、人々がまだ狩猟採集を行っていた旧石器時代、つまり、人間が農耕を始め、定住生活を営む前、まだ土器もない時代にすでに巨大な神殿が造られました。これは従来の歴史の考え方を覆したともいわれています。どのような人々が、どのようにしてこれを作ったのかはいまだに不明な部分が多くあります。
ギョベクリ・テペは既に観光地として整備が進み、遊歩道も設けられて見学しやすくなりました。現地ガイドの話では、この遺跡を訪れる観光客は、トルコではイスタンブールに次いで2番目に多いそうです。一方、カラハン・テペは現在も発掘途上の遺跡でしたが、その発掘現場を訪問することができました。いずれの遺跡もすぐ近くには立ち寄れませんが、シャンルウルファの考古学博物館で精巧なレプリカが展示され、間近で見学できます。巨大なT字型の石柱には様々な動物が、石柱自体には腕と指が描かれていて、擬人化したものであることがわかります。



中世アルメニア王国の遺跡
現在のトルコ東部はかつて中世アルメニア王国の一部でした。その都がアニの町であり、現在のトルコとアルメニアの国境線上に位置しています。アニは971年に都となってから急速に発展が進み、約10万人が暮らし、多数の教会が造られて「1000の教会の町」と呼ばれるようになりました。今も多くの教会の廃墟が残されています。まさに栄枯盛衰、兵どもが夢の跡と往時を偲ぶことができました。往時はシルクロードの重要なルート上に位置し、マルコ・ポーロもこの町の橋を渡ったと東方見聞録に記されています。
また、トルコ最大の湖、ヴァン湖では船でアクダマル島に渡り、921年アルメニア王ガギグ1世によって建てられた「聖十字架教会」をご覧いただきました。





このヴァン湖周辺でもう一つ有名なものが「ヴァン猫」です。真っ白で可愛らしい顔をして、瞳は片方が青で、もう片方が琥珀色の希少で上品な猫の種類です。かつては絶滅の危機に瀕していましたが、現在ではヴァン大学の「ヴァン猫研究所」で繁殖を行い、その数も増えています。私たちもこの研究所でヴァン猫を見ました。ご希望の方は抱っこして、餌をあげることもできました。
ノアの方舟伝説の地:アララト山
旧約聖書の「ノアの方舟」の物語をご存じでしょうか。人間が信仰を忘れ、神を敬わなくなった時、神はすべての動物を地上から拭い去り、一からやり直そうと考えました。その時、たった一人信仰を失わなかったノアだけは助けることにしたのです。神はノアに啓示を与え、山の上で巨大な船を造ることを命じました。神は船の造り方、大きさも指示しました。船の完成後、ノアは自分の家族とすべての動物を一つがいずつ船に乗せました。それから40日、40夜大雨が降り、世界は水浸しになり、方舟に乗った人間や動物たち以外はみんな死に絶えてしまった、という物語です。現在この地には旧約聖書に書かれた通りの大きさの船の形をした地形が残っています。方舟は大洪水の後、この地で岩にぶつかって座礁し、人々はここを離れました。その後、船の中には土やごみなどがたまり、長い年月の間に木造部分は朽ち果ててしまいましたが、土の部分が固まって化石のようになって今に残っていると考えられます。実際に遺跡を見ると、この物語が真実だと考えざるを得ません。
更にアララト山の美しさを見れば、人々が信仰の対象としてきたことは容易に想像できます。左側の大アララトは高さ5137m、右の富士山に似た小アララトは高さ3896メートルであり、小アララトでも富士山(3776m)よりも高いのです。



これ以外にもヘレニズム時代のコンマゲネ王朝の王墓、ネムルート山や謎の大国「ウラルトゥ王国」の遺跡など見どころ豊富な旅でした。
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