【海外】帰国しました。添乗員レポート

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2024年09月27日

【帰国レポート】カイロからアスワンへ 悠久の大ナイル990キロの船旅

〈2024年8月24日(土)~9月10日(火) 18日間 添乗員:稲田裕子〉

カイロからアスワンまでの990kmをゆく「大ナイルの船旅」に行ってまいりました。ナイル川クルーズといえばアスワン~ルクソールが一般的ですが、カイロからルクソールまでの区間は、ナイル川の中でも水深が浅い流域になるため、喫水の浅い限られた船しか航行できません。また、一般的なエジプトの観光シーズンである11~3月はナイルの水位が最も浅くなるため、カイロからルクソール区間の航行はできません。冬場に比べれば暑いものの閑散期にあたるため、各観光地もそこまで混雑しておらず、魅力的な遺跡の数々をゆっくりと楽しむことができました。

限られた期間にのみ可能な航路。大ナイルの旅だからこそ訪問できる珍しい訪問地。弊社でも毎年設定しているわけではない、特別な旅です。世界で一番エジプトが好きと公言している添乗員稲田ですが、数あるエジプトの旅の中でも一番好きなコースがこの大ナイルの船旅です。通常のクルーズでは訪れない、その魅力の一端をお伝えします!

ほぼ貸し切り状態のアブシンベル大神殿:内部も心ゆくまで、ゆっくり見学できました

ギザの三大ピラミッドだけではない、古王国時代のピラミッドの数々

①「ピラミッド・コンプレックス(複合体)」という立派な遺跡になったサッカラのピラミッド

ピラミッド建設の第一歩を記したのはジョセル王(在位:紀元前2668年~紀元前2649年)です。それまでは「マスタバ」と呼ばれた1段の墓が主流だったようですが、ジョセル王が初めて6段重ねのピラミッドを建設。40年近く前にサッカラを訪れた方は、砂漠の真ん中にぽつんと建つ階段ピラミッド一つだけをご覧になったはずです。20年近く前に訪れた方は、発掘が進み、少しずつ「遺跡」になっていく姿をご覧になったはず。現在は、参道や河岸神殿までもが発掘され、立派な「ピラミッド・コンプレックス」になりました。長年修復工事を行っていた階段ピラミッドの内部にも入れるようになっています。

階段ピラミッド:さすがのピラミッドも、長い年月の間に風化して、すこしずつ崩れ始めています
階段ピラミッドの裏手にある「セルダブ:ファラオの魂が北極星を見つめられるように造られた小部屋」
セルダブの穴をのぞくと、ジョセル王の像が北極星を見上げています

②3つもピラミッドを建設したスネフェル王

ジョセル王の数代後のファラオになると、階段状ピラミッドは当たり前になり、スネフェル王はその階段状のピラミッドを化粧板で覆い、四角錘のピラミッドを建設した最初のファラオになりました。現在は石積みが崩れ、化粧板がはがれてしまっているので、段々状のピラミッドになっています。今も謎とされるピラミッドの建築方法を知るための手掛かりとなる大変貴重なピラミッドだそうです。このスネフェル王、実はピラミッドを3つも建設しました。かつてはピラミッド=王墓説が一般的でしたが、ならば3つも建設する必要があったのでしょうか? また、現在100を超えるピラミッドが発見されているそうですが、未だに内部からミイラが見つかったピラミッドはないそうです。

父王フニが建設をはじめ、スネフェル王が完成させたメイドゥームのピラミッド
途中で傾斜角度が変わっている、屈折ピラミッド
屈折ピラミッドのあとに建設された赤のピラミッド

通常ツアーではまず訪れることのない中流域の遺跡を訪問

カイロから中流域の遺跡までは、現在は道も整備され、バスでも訪れることができるようにはなりました。しかし、「エジプトはナイルの賜物」とかつての歴史家が評した通り、やはりナイル川をクルーズしながら訪れるのがお勧めです。中流域を代表する遺跡といえば、中王国時代の貴族の墓が出土したベニハサンです。39基の墓が見つかっており、そのうちの4つの墓が一般公開されています。もうひとつはテルエルアマルナ。世界史上、初の宗教改革を行ったとされるアメンホテプ3世が多神教の都テーベ(ルクソール)を棄て、アテン神のための都を建設した場所です。プトレマイオス期からローマ時代に建設された遺跡も数多くありますが、規模は小さいものの、長年土に埋もれていたために、レリーフがきれいに残っているクヌム神殿もおすすめです。

①ベニハサン

ベニハサンの岩窟墳墓の入り口
限られた観光客しか訪れない珍しい訪問地なので、グループだけの貸し切り状態での観光でした
王墓ではないため、神々への賛歌や王の生前の善行というテーマではなく、人々の生活様式が描かれているのが特徴です。こちらは有名な「レスリング」のレリーフです

②テルエルアマルナ

太陽から光線が出ている「アテン神」。塩害のため、王墓内の壁はかなり傷んでいます
アテン大神殿跡:現在は柱が1本と半分のみ
アテン神を崇めるイクナートンと妻ネフェルティティのレリーフ

③エスナに位置するクヌム神殿

クヌム神殿:現在もまだまだ発掘調査中。かつては現在よりも9mも地上は低くなっていました。外観はプトレマイオス期、内部のレリーフはローマ時代に完成しました。古代エジプトの遺跡の中ではかなり新しい時代の神殿です
神々に捧げものをするローマ皇帝
柱頭飾りもバリエーションがあるので、皆で見上げました

エジプト=イスラム圏のイメージですが、実は全人口の10%はキリスト教徒です。

エジプトのキリスト教は「コプト教」と言われています。かつては、エジプトの中部から南部にかけての地域が「コプト」と呼ばれていたことに由来します。エジプトにキリスト教が伝わったのは紀元後40年のことで、福音書書記のひとり、マルコがアレキサンドリアに布教したのが始まりです。2世紀頃にはエジプト全土にキリスト教が広まり、ビザンツ帝国時代にはアレキサンドリアは、コンスタンティノープル、ローマ、エルサレム、アンティオキアと並ぶ5大総本山のひとつとされていました。8世紀以降イスラム教がエジプトに入って以来、キリスト教信者はめっきりその数を減らしましたが、「聖家族のエジプト逃亡」のエピソードが伝わる通り、エジプトとキリスト教のつながりは深いのです。

アメリカとイタリアの資金&技術支援によって綺麗に修復がなされた祭壇
聖堂内の壁画は5世紀から7世紀にかけて描かれたものです
赤の修道院:物珍しそうに我々観光客を眺める現地のコプト教徒

カイロからアスワンまでの航行距離は約990km、2週間のクルーズです。

①リバークルーズの楽しみのひとつ、ロックの通過

カイロからアスワンまでには3つのロックがあります。一番のハイライトはナグ・ハマディのロックと回転橋です。下流のカイロから上流のアスワンへ向かうので、ロックはすべて上昇します。ロック通過後は、回転橋にさしかかります。ここの回転橋は電動ではなく、手動回転橋です。しかも、常駐の管理人がいるわけではないので、回転橋にたどり着くと、我々の船のスタッフが陸地に上がり、倉庫から棒を出してきて、装置に設置。そしてぐるぐるぐるぐる回転させます。

ロックに入っていく瞬間。下流のカイロから上流のアスワンへ向かうので、船はロックで上昇します
スタッフが回転橋を回しています
ものの数分で橋は回転し、90度回転したところで船が通過。通過後はもちろん再びスタッフがぐるぐる橋を回してもとに戻します

②フレンドリーな船のスタッフたち

カイロからルクソールまでの水位の浅い流域を航行が許可されている船は、現状10隻もないそうです。今回も水位の低いエリアで約2m、我々の利用したナイル・ビジョン号の喫水は1.75m。まさにぎりぎりです。船のキャプテン、アリさんは50年近くナイル川を航行する船で働くベテラン。レーダーもなにもない船で、キャプテンの長年の経験を頼りに船は右へ左へ舵を切りながら、順調にナイルを航行していきました。毎日朝から晩までレストランで働くスタッフたちも我々の旅の大事なメンバーです。イスラム教国のエジプトでは、あまりお酒のチョイスは多くないのですが、お客様の飲み物の好みをちゃんと覚えてくれて、「今日はビール?大きいの?小さいの?」片言の英語でやり取りするのも、長い船旅ならではの楽しみです。

ブリッジ(操舵室)のキャプテンたち
レストランのスタッフ
「今日は七面鳥だよ」 どうしても似たような食事になりがちですが、日々工夫をして料理を提供してくれるシェフ

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