【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2025年03月17日
【帰着レポート】西彼杵半島・外海から平戸・黒島巡礼の旅 4日間
<2025年3月3日(月)~6日(木)4日間 添乗員:東京支店 山田 梨絵>
<2025年3月3日(月)~6日(木)4日間 添乗員:東京支店 山田 梨絵>
フランシスコ・ザビエルが1550年に日本でキリスト教の布教を始めて以降、長崎には多くのキリシタンが存在していました。江戸時代にキリスト教が禁教となり、彼らは生月(いきつき)島や五島などの僻地に移住し、潜伏キリシタンとなって、密かに信仰を続けていました。幕末の時代、1865年に長崎の大浦天主堂にて「信徒発見」が起こり、約250年ぶりに日本でキリシタンの存在が明らかとなったのは、キリスト教史における重要な出来事として世界的に知られています。
明治になって禁教が明けて以降、晴れてキリスト教に復帰した長崎の人々は、各地に次々と教会を建てました。今回の旅では、2018年に世界遺産に登録された長崎の教会群を中心に、長崎のキリシタンの歴史を辿りました。
平戸と生月島の教会群

平戸は、フランシスコ・ザビエルが日本で初めて布教を行った地です。本土側から平戸島に渡ると、平らな土地が少なく、山を切り拓いて開拓していった島であることがわかります。海岸に近い開けた場所には仏教徒が住んでおり、後から移住してきたキリシタンの人たちは、山を開墾して住むようになったそうです。平戸では現在も人口の約1割がクリスチャンで、明治期以降、信者が建てた教会が今もあちこちに残っています。今回のツアーでは、そのうちの4つの教会を巡りました。




教会内部の美しい姿をお見せできないことが残念ですが、長崎の教会は今も地元の方にとって生活に密接した大切な祈りの場であり、撮影禁止、土足禁止となっている場所がほとんどです。教会に入る際には、靴を脱ぐことで外界とは異なる場所に行くのだという感じがして、身の引き締まる思いがしました。
外海の出津集落とド・ロ神父
外海(そとめ)地区は、大村湾の左側に位置する、西彼杵(にしそのぎ)半島の西側にあります。外海地区の集落は、入り組んだ海岸線が続く切り立った崖の上に点在しており、現代のように交通手段の限られた江戸時代、訪れるのが困難な土地だったことが窺えます。当時このあたりは大村藩の所領で、大村藩はキリシタンの取り締まりを厳しく行っていましたが、場所によっては佐賀藩の飛び地となっており、ここ外海の出津(しつ)集落は比較的弾圧が緩かった佐賀藩の所領でした。そのため、ほとんどの領民が潜伏キリシタンであったといわれています。
1879年にフランス人のド・ロ神父が外海地区の主任司祭として赴任し、出津教会堂や救助院を建てました。ド・ロ神父は、寡婦となった貧困の女性たちを私財を投じて数多く救済しました。穏やかな空気が流れる出津集落は、今もド・ロ神父の温かな教えが息づいているのを感じられる場所です。


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