【海外】帰国しました。添乗員レポート

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2025年09月25日

【帰国レポート】旅順・大連・瀋陽と万里の長城最東端への旅

<9月12日発 添乗員 東京支店・相澤 満弘>

<9月12日発 添乗員 東京支店・相澤満弘>

残暑厳しい日本を離れ、中国東北地方の大連へ。大連は、中国東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)のひとつ遼寧省にある大都市で、東京から直行便が就航する空の玄関口です。

大連をはじめ省都・瀋陽や旅順など、日本との関わりの深い都市はこれまでも取り上げてきましたが、今回は「丹東」をツアーで初訪問。昨年行った視察を経て発表した新企画です。瀋陽、丹東、大連に2泊ずつして、各都市間は正確なダイヤで運行される高速鉄道で移動。旅の前半は気温が30度近くありましたが、後半にはひと足早く秋の気配を感じ、風も涼やかになっていました。

「万里の長城最南端」虎山長城

省都・瀋陽ではふたつの世界文化遺産を訪問

このたび滞在した三都市のうち、もっとも観光が盛んな街は瀋陽でしょう。というのも「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」として瀋陽故宮博物院が、「明・清王朝の皇帝墓群」として昭陵、福陵、永陵が世界文化遺産に登録されており、清朝期の迫力ある歴史建築が街のあちこちで見られるからです。

瀋陽故宮博物院は、清代の初代皇帝ヌルハチと第2代皇帝ホンタイジが王宮とした場所で、清朝が起こった17世紀中葉あたりからの初期の建築様式が見て取れ、オレンジ色の屋根瓦など鮮やかな色彩が特徴的です。中庭の広さから、皇帝の威厳、権力の大きさも感じられます。午前一番に出かけたのですが、休日だったこともあってか、かなりの大混雑。歩くのがやっとという感じでしたが、街を少し外れた場所にある北陵公園・昭陵は全く喧騒とは無縁の静かで落ち着いた雰囲気。ここはホンタイジと皇后のボーアールジージーターの眠る陵墓で、ヌルハチが眠る永陵、清朝の祖先が眠る福陵よりも規模が大きく、ゆっくりと時間をかけて散策をしていただきました。

各都市間の移動は、高速鉄道で快適に
瀋陽故宮博物院の大政殿。ここで、ヌルハチによる大清国建国式典が執り行われました
北陵公園にある世界遺産・昭陵。故宮と異なり、人波はなく、落ち着いた風情
昭陵の奥にある宝頂。ここにホンタイジが眠ります

中朝国境の町・丹東では、万里の長城最東端を訪問

次に訪ねた場所は、丹東。長白山(北朝鮮では「白頭山」)を源流とする鴨緑江(おうりょくこう)を隔てて北朝鮮と向かい合う、中朝国境の町です。宿泊したホテルの客室からも、中国領の中州の島・月亮島の向こうに北朝鮮ののどかな町・新義州市を望むことができました。また日本時代に建設された鴨緑江に架かる二つの橋や、クルーズ船、そして町の外れにある万里の長城最東端・虎山長城からも、いたるところで北朝鮮と接する不思議な雰囲気の町です。漢族のほか、満州族、朝鮮族も多く暮らす多民族の町で、看板には漢字だけでなくハングルが書かれ、「北朝鮮土産」を販売する店も見かけました。

二つの橋のうち開通している中朝友誼橋は、中国のトラックが往来している様子が時折見え、またコロナの前にはここから北朝鮮へ旅行する人も多かったとのこと。そのほか、フェリーが韓国の仁川と結んでいる国際的な町です。

やはり「国境の町」として、なかなか訪ねることの叶わない北朝鮮を一目見ようと、中国の人々が観光で訪ねることが多いのですが、張り詰めるような緊張感はなく、賑やかな雰囲気が感じられました。

客室の窓から見える、北朝鮮(手前のビルは中国領、その向こうが北朝鮮です)
日本時代に建設された鴨緑江断橋。朝鮮戦争の爆撃により、途中で「断たれたままの橋」が残ります
鴨緑江断橋より望む中朝友誼橋
鴨緑江クルーズ。向こうの岸が北朝鮮。北朝鮮のクルーズ船も見かけました

万里の長城の最東端を訪問

丹東滞在中のハイライトは、万里の長城の最東端とされる虎山長城です。「西の果て」である玉門関(漢代に建造)や嘉峪関(明代に建造)と比べ、訪れたことのある方は少ないでしょう。虎山長城は明代に建造されたものですが、保全作業がおこなわれ、第9楼から第2楼までは観光客も歩くことができます。一部かなり急な階段がありますが、ご自身のペースで散策を楽しんでいただきました。鴨緑江を境にして、川の一方が中国、その反対が北朝鮮という国境に接している長城です。

虎山長城から望む北朝鮮。現在、第9楼から第2楼まで整備されており、この第3楼が最高地点です
急峻な坂もありますが、どこからでも眺めを楽しめます
虎山長城の近くにある「一歩跨」。鉄柵の向こうに川が流れ、その先が北朝鮮です

旅の終盤は大連へ、旅順へは日帰り観光で訪ねました

旅のラストは大連に戻り、日系ホテル「ホテル・ニッコー大連」に2連泊。大連の市内観光のほか、旅順の日帰り観光へも出かけました。大連は今や高層ビルが建ち並ぶ大都会の面持ちですが、その歴史はわずか100年あまりで、かつては小さな漁村に過ぎなかったといいます。

ロシアは1898年に租借地として大連と旅順をおさえ、商業港として大連(ロシア語で「はるか遠く」を意味する「ダーリニ」が語源)を、軍港として旅順を発展させていきました。1905年、日露戦争に勝利した日本が租借権を継承したことにより、ロシア、日本、そして近現代の様々な時代に建てられた建造物群が共生する、なんとも興味深い、レトロでモダンな街並みが形成されています。

上野駅を模したとされる大連駅。今回の旅はここからスタートしました
旧ロシア人街。観光地として開発され、歴史建築が点々と残ります
大連の中心、中山広場。夕食の後に立ち寄って、ライトアップされた建築群もご覧いただきました。正面は旧横浜正金銀行大連支店
ご希望の方と朝の散歩に出かけました。レトロな路面電車に乗車体験(201号線は、最新型と古い車両、両方が走っています)
かつて日本人街があった連鎖街。古い建物と高層ビルの対比が面白い場所です
宿泊した「ホテル・ニッコー大連」は、円形が特徴的な高層ビル。日本人スタッフ、日本語を話せるスタッフが多く、快適に滞在できました

そして、旅順へ

日露戦争の激戦地であった旅順は、しばらくツアーがありませんでしたが、昨年からツアー訪問が再開。かつてより自由に訪ねられるようになっていました。中国の人にとっては縁遠いとも言える訪問地ですが、しっかり整備・保全してくれていました。中国人観光客の姿を見ることはほとんどありませんでしたが、現地では日本語で気さくに話しかけてくれる人が多かったのも印象的でした。

短い滞在ながら、日露戦争や日本統治時代に関わりのある様々な建築物をしっかりとご覧いただくことができました。

二〇三高地のシンボル「爾霊山」の慰霊碑
二〇三高地から見渡す、はるか遠くの旅順港
旅順博物館も見学。日本時代に建てられた歴史建築には、分館も含めて6万点の収蔵品を有します
修復作業が終わったばかりの旅順駅。きれいに復元された駅舎は、ロシア様式の建築です

このたびは中国東北の旅でしたが、中国の旅はその訪ねやすさが魅力のひとつでしょう。時差が少なく、短いフライトで訪ねられ(今回は、東京~大連が往復それぞれ3時間以内)、ホテルや高速鉄道、高速道路などのインフラも各段に向上しています。

冬から春にかけての中国の旅も、ぜひご注目ください。

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