【海外】帰国しました。添乗員レポート

【海外】帰国しました。添乗員レポート
2024年10月02日
【帰国レポート】モンテネグロ・ボスニア・セルビアの旅
<9月5日発 添乗員:東京支店 中屋 雅之>
旧ユーゴスラビアから生まれた7つの国の中から、今回はモンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアの3か国を訪問しました。モンテネグロはブドヴァやコトルなどの美しい旧市街を持つ町々や修道院を見学、また世界遺産のドゥルミトル国立公園では、ヨーロッパで最も深い渓谷と美しい大自然をご覧いただきました。ボスニア・ヘルツェゴビナではボスニア内戦から見事に甦った人々の生きる力とたくましさを感じました。また、セルビアでは美しいドナウの流れとそこに息づく人々の生活や古い街並みを見学。隣同士の国でありながら、3つの国々がそれぞれ全く違う雰囲気を持っていることに驚かされました。
海と山の対比が美しいモンテネグロ
モンテネグロは福島県と同じほどの面積を持つ小国ながら、海と山双方の美しさを持ち、現在世界中から多くの観光客が訪れるようになりました。中でもアドリア海に面したコトルの町はベネチアと東方とを結ぶ「海のシルクロード」の雰囲気をよく残し、城壁に囲まれた旧市街にー歩入るとそこはまさに中世そのものです。また、町から少し離れたアドリア海に浮かぶ人工の小島には「岩礁の聖母マリア教会」があります。コトル湾を小さなボートで渡るのはとても気持ちの良いものでした。


一方山間部には聖地「オストログ修道院」があり、今も多くの巡礼者たちが訪れています。更に北部には自然豊かな「ドゥルミトル国立公園」があります。中でもタラ渓谷はアメリカのグランドキャニオンに次いで世界で2番目に深い渓谷にタラ川が流れ、そこには優雅な「タラ橋」が架けられています。橋から眺める風景は絶景で、遠くには切り立った峡谷が、真下にはエメラルドグリーンのタラ川の水の色が周辺の森の緑と相まって、美しいコントラストを見せています。


内戦の痛手から蘇ったボスニア・ヘルツェゴビナ
ボスニア・ヘルツェゴビナと言ってもあまり馴染みがないかもしれませんが、その首都サラエボは、1984年に冬季オリンピックが開かれたこともあり、皆様ご存じだと思います。しかしオリンピックからわずか9年後の1993年、ボスニア内戦によって多くの人々が命を失うことになるとはだれが想像したことでしょう。オリンピックのメインスタジアムの一部は墓地に改造され、無数の墓標が立っている姿を目の当たりにすると、やりきれない思いになりました。
サラエボと言えば第一次世界大戦のきっかけとなった「サラエボ事件」を思い出される方も多いでしょう。セルビア人青年プリンツィップが現在のラティンスキー橋のそばから車に乗って市庁舎へと向かうオーストリア皇太子夫妻を狙撃、これがもとになって第一次世界大戦が勃発しました。当時プリンツィップが立った場所には足形が置かれ、どのような角度で狙ったのかもよくわかります。そばにはオーストリア皇太子夫妻が乗っていた車のレプリカも置かれていました。
モスタルの町ではクロアチア人とセルビア人が歴史的な石橋「スターリ・モスト」を挟んで対峙。1993年11月、この橋も爆破されることになります。橋の両端には「1993年を忘れるな」の文字がありました。その後、2004年に復元されて、現在ではこの国を代表する見どころとなっています。

この国のヴィシェグラードの町にはもう一つ有名な橋、「ドリナの橋」こと「メフメット・パシャ・ソコロビッチ橋」があります。2007年にはユネスコの世界遺産に登録されました。建設したのはオスマン帝国最大の建築家ミマール・シナンであり、彼が設計した橋の中でも最高傑作と評されています。更にこの橋を世界的に有名にしたのは、この町出身のノーべル賞作家イヴォ・アンドリッチです。彼の作品『ドリナの橋』にはこの橋が建設されてから第二次世界大戦で破壊されるまで約400年間、この地域で多くの民族の攻防、人々の喜怒哀楽があったものの、ドリナの流れはいつも変わらず歴史の流れを見守って来たという物語を描いています。

古代から人々が行き交ったドナウの流れ:セルビア
支流を含めるとヨーロッパの17カ国を流れる国際河川ドナウ。流域国のなかで最も広い流域面積を持つのは、その河口に位置するルーマニア、それに次ぐのがハンガリー、オーストリア、セルビアと続きます。セルビアはドナウの流れの中で最も幅の狭い、水上交通の要衝「鉄門」を有し、この地は古代ローマ帝国の時代から争奪戦が繰り広げられてきました。ローマ皇帝トラヤヌスもこの地にやって来て、ダキアの王と戦いました。この時のダキア王がデケバルス(紀元87年~106年)であり、この場所にはデケバルスの巨大な顔が岩に彫刻されています。また、川の反対側にはトラヤヌス皇帝の碑文も残されています。


私たちはこの「鉄門」周辺をクルーズしました。両側から迫る断崖絶壁を見ると、かつてローマ皇帝トラヤヌスが「巨大な鉄の門で守られているようだ」と言ったこともうなずけます。また、近くには巨大な「ゴルバツ要塞」があり、セルビア王国からオスマン帝国、オーストリア・ハンガリー帝国など歴代の支配者の守りの要となってきました。川幅の最も狭い部分であることから、この地を制する者はヨーロッパ全域を制するといわれたのです。

最後に訪問したのはセルビアの首都ベオグラードです。この町はドナウ川とサヴァ川の合流点に造られ、バルカン半島の交通の要衝として発達しました。合計6回も激しい空爆を受け、破壊されたため、残念ながら古い建物はほとんど残っていませんが、現在のこの町のシンボルと言えるものが、セルビア正教の創設者、聖サヴァを祀る「聖サヴァ教会」です。東方正教会の教会としては世界最大の大きさを誇り、多くの人々が祈りを捧げていました。


このように、各国様々な魅力を持つ3か国の旅でした。ヨーロッパの田舎町が好きな方には絶対にお勧めの旅です。
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