2019年6月18日更新

「アルプスの画家」セガンティーニ

セガンティーニ『自画像』
イタリアとの国境に近いスイス有数の観光地サンモリッツに「アルプスの画家」と呼ばれた画家、ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858〜1899)の作品約70点を収める「セガンティーニ美術館」があります。
今回は19世紀末に活躍し、スイスの自然を描きながら41歳の若さでこの世を去ったセガンティーニについてご紹介しましょう。


不遇の子ども時代を経て 画家を志す

セガンティーニは、本名はジョヴァンニ・エマヌエル・マリア・セガティーニ。当時オーストリア領であったイタリアのトレント県アルコで、貧しい行商人の息子として生まれました。幼い頃に兄が病死し、病気がちな母親も彼が7歳の時に亡くなります。父親はミラノの親戚に幼いジョヴァンニ少年をあずけたまま消息を絶ってしまいました。ひとり取り残され、家の者が外出するときは屋根裏部屋に閉じ込められるといった親戚宅での暮らしにいたたまれず、ジョヴァンニは12歳のときに家出しますが、警察に拘束されて感化院に送られてしまいました。

貧困と孤独にあった少年が、唯一喜びを見出したのは絵でした。感化院の神父はそのデッサン能力に驚き、院長も画家を目指すよう強くすすめたといいます。感化院を出てトレント県の親戚宅に保護されたジョヴァンニは本気で画家を志し、16歳の時に再びミラノへ赴きブレラ美術学校に入学します。在学中にめきめきと頭角を現し、数々の賞を獲得。そのメダルを質に入れて生活費に充てていました。しかしこうした生活環境の違いや彼の個性は美術学校の裕福な子女たちには理解できず、アウトサイダーであった彼は、結局「生まれつきの芸術家に美術学校は役に立たない」と2年で学校を辞めてしまいます。
しかし在学中、家具デザインを学んでいたカルロ・ブガッティ、その妹にしてのちに妻となるルイジア、画商となり支援や助言を与えてくれたヴィットーレ・グルビシーといった友人らとの出会いも得ます。そしていよいよ画家として世に出ていこうという20歳のとき、ジョヴァンニは自身の絵に初めて「セガンティーニ」とサインを記したのです。苦難の過去との決別と、新たな人生への第一歩でした。

さらなる高みを目指して、山へ
『聖アントニオ教会の聖歌隊席Ⅱ』(1879)
画家セガンティーニは21歳の時の作品『聖アントニオ教会の聖歌隊席Ⅱ』(1879)がミラノ市美術協会に買い上げられたことを機に、その名を高めていきます。初期の作品は宗教画やイタリアの風景画、農村の日常生活が主で、これらにはフランスの画家ミレーの影響が見られました。こうしたなか、セガンティーニは自身の作風を模索してレンブラントなどオランダ絵画に見られる陽光を研究し、またグルビシーはセガンティーニにフランスのスーラに代表される点描技法を紹介します。そうした模索が1886年、標高1207メートルのスイスのサヴォニン村に移ったことを機に花開きます。その時セガンティーニは28歳で、1880年に結婚したルイジアとの間に4人の子どもがありました。

陽光に満ちた清澄な空気の山中でセガンティーニの画風は一変し、キャンバスから鮮やかな空色や牧草の緑など、これまでになかった色彩が溢れ出しました。セガンティーニは春や夏、秋はもちろん、雪の中へも絵を描きに出かけては、山の風景やそこで暮らす人々の姿を画布に映し込みます。ときには朝5時頃から出かけ、1日15時間以上も描き続けたこともあったとか。『湖上のアヴェ・マリア』(1883)で萌芽を見せていたセガンティーニ独特の画法「分割法」も山の自然のなかでひとつの結実を見せました。これはパレット上で絵の具を混ぜ合わせることはせず、カンバスの上に線を描くように絵の具の純粋な色彩を置く技法で、観賞時に見る者の視覚や光彩によりそれらの色が混ざり、絵が完成するのです。
『アルプスの真昼』(1891)
『アルプスの真昼』(1891)、『頸木に繋がれた牝牛たち』(1888)などの代表作が誕生する一方、アルプスの自然はセガンティーニに少年時代の孤独や母親の死といった過去の心の傷とも対峙させます。『悪しき母たち』(1894)、『命の泉の愛』(1896)などの幻想的な作品を描くことで、彼は自身の心を浄化させていったのでしょうか。「(自然の中で)労働も愛も母性も死も、生と触れあう」とセガンティーニは自身の論評のなかで記しています。

画業の集大成 『アルプス三部作』

セガンティーニは、冬場はソーリオ(標高1090メートル)で暮らしながら、1894年にはマローヤ(1815メートル)へと移ります。のちにセガンティーニの孫であるジョコンダ・レイカウフ=セガンティーニ氏は「(祖父は)アルプスの自然を見つめ続けた結果、山や自然に神が宿っていると考えるようになった」と語っていることから、まるでより天に近い場所で己の感じる世界を描き出そうとしたのか、マローヤよりさらに高い、標高2731メートルのシャーフベルク山に作業小屋を構えました。

 
セガンにティーニ美術館の『アルプス三部作』  ©スイス政府観光局

マローヤやシャーフベルクで描かれた大作『アルプス三部作』(1896〜1899)はセガンティーニ美術館の2階の一室に、3枚の祭壇画のように展示されています。中央の『自然』にはアルプスの雄大な風景、左の『生』には夏の夕暮れが、右の『死』には冬の朝に運び出される遺体が描かれています。セガンティーニは、生死のすべては自然の中でひとつの宇宙を形づくり、自身もまたその宇宙の一部であることを描き出そうとしたとか。日本人の自然観と非常に近しいものが感じられますが、実はセガンティーニはインドの古い詩に書かれた仏教の説話を読み『涅槃』というシリーズ作品を描いています。彼の晩年の世界観には、もしかしたら仏教の影響もあるのかもしれません。1899年、シャーフベルクで倒れたセガンティーニが世を去るときの最後の言葉は、「私の山が見たい」でした。

セガンティーニ美術館は画家が息を引き取ったシャーフベルクの小屋に向いて立てられています。小屋へは夏場のみ、ハイキングで訪れることができ、マローヤの村には墓やアトリエなど、画家ゆかりの地を巡る散策路「セガンティーニの道」がつくられています。


主な参考文献
■『セガンティーニ』(監修/ベアト・シュトゥッツァー、ローランド・ヴェスペ訳/末吉雄二 西村書店 2011年) ■『NHK世界美術館紀行8』(編/NHK「世界美術館紀行」取材班 NHK出版 2005年)
■『チューリヒ 予兆の十字路』(編/土肥美夫 国書刊行会 1987年)
■『地球の歩き方2016~17』(ダイヤモンド社 ダイヤモンド・ビッグ社)


画家セガンティーニが愛したエンガディン地方などスイスを訪ねる旅はこちらから(2019年6月現在)