2014年2月21日更新

オスマン帝国と魅惑の都市イスタンブール(後編)

メフメット二世の肖像 (ジェンティーレ・ベリーニ作) ロンドン・ナショナルギャラリー所蔵
2人の英雄的スルタン メフメット二世とスレイマン一世

1453年、メフメット二世は大砲と10万(16万との説も)人の兵をもって、難攻不落といわれたビザンツ帝国の都コンスタンティノープルをわずか2カ月間で攻略し、ビザンツ帝国を滅亡させました。メフメット二世は、キリスト教国の都であったコンスタンティノープルをオスマン帝国の新都と定め、その後イスタンブールと改名しました。

イスラム法は征服後3日間の略奪を兵士の権利として認めていましたが、メフメット二世は実際には1日だけの略奪にとどめさせたうえ、兵士らがコンスタンティノープルの町を破壊し尽くすことは許さず、都の復興に着手させました。城壁を修復したり、要塞を建造したりして、十字軍の攻撃に備えたのです。スルタンは激減した都の人口を増やすため、アナトリア西部の各地からトルコ人、ギリシャ人、アルメニア人らを移住させました。同時に大規模なバザール(市場)やキャラバンサライ(隊商宿)を建設し、信仰する宗教に関係なく裕福な商人や職人が安心して商売できるようにするなど、活気ある都へと変貌させたのです。

また、金角湾とボスフォラス海峡、マルマラ海に囲まれた高台に新宮殿(トプカプ宮殿)を建設し、聖(アヤ)ソフィア大聖堂をはじめ、主要な教会や修道院をイスラム教の施設に転用しました。しかし、コンスタンティノープルのギリシャ人らには従来の宗教の信仰を認め、社会的慣習の維持を約束。イスタンブールの人口の構成比はイスラム教徒が60パーセント、非イスラム教徒が40パーセントで、それは帝国が滅亡する20世紀まで変わらなかったといいます。

オスマン帝国の最盛期に君臨したスルタンは、スレイマン一世です。ベオグラードやブダ(チェコ)、イラクを攻略し、地中海に浮かぶロードス島を征服し、ウィーンを包囲するなど、ヨーロッパにオスマン帝国の勢いを知らしめたスルタンでもあります。その領土をヨーロッパ、アジア、北アフリカと3大陸にまで拡大し、国内では能率的な行政管理制度を整備して、帝国内に安定と繁栄をもたらしました。

メフメット二世の時代に始まった中央集権体制ですが、スレイマン一世治世において諸策が体系化されたのです。こうした帝国の繁栄には、大宰相イブラヒム・パシャの手腕が大いに発揮されていたといいます。また、彼の愛妃はハセキ・ヒュッレム(ロクソラン)。宮殿内ハーレムにいたキリスト教徒の女奴隷でした。才女ヒュッレムはその美貌でスレイマン一世の寵愛を一身に受け、スレイマン一世をも操ったといわれています。

しかし、オスマン帝国も17世紀以後、帝国を支えた諸制度が崩壊し、衰退し始めたのです。
トプカプ宮殿
イスタンブール旧市街に見る帝国の面影 トプカプ宮殿、アヤ・ソフィア聖堂

ボスフォラス海峡に隔てられたヨーロッパとアジアの接点に位置するイスタンブール。東西文化が交わる政治、軍事の拠点として、紀元前の昔からローマ帝国の主要都市のひとつであり、そしてビザンツとオスマンという2つの帝国の都として栄えてきました。今も、その長く豊かな歴史が街角のいたるところに残され、エキゾチックな情緒に溢れています。グランドバザールでは、コーヒーや香辛料、水タバコの独特の匂いが漂い、茶道具や水差しなどの銅細工、陶器や絨毯、貴金属、革製品など、様々なものが売られています。店先でチャイを飲みながら、値段交渉する客と店主の姿も見られるでしょう。五感で楽しみたいバザールです。

メフメット二世が建設した新宮殿、トプカプ宮殿は、歴代スルタンによって増改築が繰り返され、様々な建築様式が混交する、広大な宮殿となりました。4000~5000人が暮らしていたという宮殿内には、兵器庫、貨幣鋳造所、病院、ハーレム、庭園、官僚を養成する施設までがあり、かつて帝国の政治、行政の中枢として機能していました。また宮殿内のハーレムには、奴隷市場から買われてきた女や各地から献上された女とその子どもらが暮らしましたが、とりわけバルカンやコーカサス出身の女が多かったといわれています。ハーレムの華麗な装飾と財宝も大きな見どころのひとつです。現在は、博物館として一般公開され、調度や宝飾品、写本、細密画、イスラムの装飾タイルと象眼が優美な内装などから当時の豪華なスルタンの生活ぶりがうかがえます。

トプカプ宮殿に隣接する聖(アヤ)ソフィア聖堂。その起源は4世紀のコンスタンティヌス一世の時代に遡ります。2度焼失し、6世紀前半に再建された、ビザンツ帝国のキリスト教信仰の中心となったところです。直径31メートルの巨大ドームは圧巻。メフメット二世はこの教会堂をモスクに転用する際、内部に施されたモザイク画を漆喰で隠したほか、聖地メッカの方向に設けられるミフラーブ(壁のくぼみ、壁龕)とミナレット(尖塔)4本を建てました。この漆喰が、9世紀後半から10世紀に描かれた見事なモザイク画をしっかりと保護していたため、現在、キリストや聖母子像、コンスタンティヌス帝らを描いた傑作モザイクを見ることができます。
ブルーモスクとスレイマニエ・モスク

聖(アヤ)ソフィア聖堂からスルタナメット広場を隔ててスルタン・アフメット・モスクが立っています。スルタン・アフメット・モスクは高さ12メートルのドーム内部の壁面が装飾を施した濃淡様々な青色の彩色タイルで覆われていることから、ブルーモスクの愛称で親しまれています。ステンドグラスは太陽の光を浴びてキラキラと輝き、そのイスラム芸術の美に圧倒されることでしょう。世界的に見ても珍しい6本のミナレットを持つモスクとしても知られています。

壮麗なスレイマニエ・モスクは16世紀半ば、オスマン帝国の最盛期に君臨したスレイマン一世が建立したイスラム寺院です。帝国繁栄の象徴ともいえるモスクで、直径26・5メートル、高さ53メートルのドーム内部はシンプル。オスマン帝国の建築物の装飾によく見られるイズニックタイルは白地に藍色と赤色が施され、さらにステンドグラスも印象的。ミナレットは4本立っています。同モスクのそばには、スレイマン一世とその妻の霊廟があります。