2014年1月10日更新

先住民アボリジニの大地(前編)

太古の昔、広大なオーストラリア大陸に渡ってきた人々がいます。オーストラリア先住民アボリジニです。彼らは隔離された大地で過酷な自然環境と向き合い、共生し、独自の世界観を発展させ、伝統や文化を育んできました。しかし、日本でオーストラリアが語られる際、どこまでも続く赤い大地、サンゴ礁の海、長く美しい白砂の海岸線、うっそうとした熱帯雨林など、驚異の大自然にばかり目を奪われがちかもしれません。今回は先住民アボリジニの伝統文化、世界観や芸術に焦点を当ててオーストラリアをご紹介します。
自然と共生、その暮らしぶり

アボリジニは今から4万年以上も前、海面が今よりも200メートルほども低かった頃、インドネシアの島伝いに徒歩とカヌーでオーストラリア大陸にやってきたと考えられています。彼らは5000年前頃には、沿岸部から内陸の乾燥地帯まで、オーストラリア大陸全域に居住し、人口も増加していきました。イギリスからの入植が始まった18世紀末頃、アボリジニの人口は推定で約30万人から約100万人の範囲(豪統計局調べ)であったとされ、約500もの言語が異なる地域集団に分かれていたといいます。

先住民アボリジニは親族30〜50人のグループで生活する狩猟採集民でした。鉄器を持たず、農耕や牧畜も行っていません。内陸部でも沿岸部でも、知識が豊富な年長者をリーダーとする親族をグループの単位として、獲物を追い、植物を採集するため、先祖伝来の広大な土地の中を移動しながら生活していました。男はカンガルーなどの大型の動物を狩り、女はヘビやポッサム、ネズミなどの小動物と植物採集を行っていたといいます。北部の熱帯地方ではワニや果物が、沿岸部では魚介も大切な食料でした。彼らの生活は自然と共生するものだったのです。

狩猟採集しながら、移動して生活していたため、家は木で作られた風よけ程度の簡易なもので、岩陰や洞穴で暮らすこともあったといいます。このためもあって持ち物は最小限にとどめられていました。男はヤリ(地域によってはブーメラン)を、女は穴掘り棒と植物やその種子、ヘビなどの小さな生き物を入れるための草などで編んだカゴ、そして木をくりぬいて作ったクーモランを持っていました。クーモランは赤ちゃんのゆりかごにもなり、種子をつぶす際にも使われました。グループが食べられる分の食料を得たら、その日の仕事は終わりです。
 
アボリジニのブーメラン
ドリーミングにみる世界観

先住民アボリジニは独自の世界観を持っています。彼らは文字を持ちませんでした。先祖から受け継いだ文化や風習、生活の知恵や掟は、「ドリーミング(神話)」として、語りを通して、歌や踊り、絵画などで、何万年にもわたって伝承してきたのです。

先祖伝来の広大な土地の中を移動する際も、ドリーミングによって語り継がれてきた知恵を使い、歌で伝承してきた地図(ソングライン)をもとに移動していました。だから、まるで自分の家の庭を歩くように迷うこともなく、獲物を探し出すことができたのです。もちろん、土地や地形、生物や生態系に関する様々な知識をドリーミングによって受け継ぎ、精神的にも強くその土地と結びついて暮らしていました。

アボリジニの世界観には過去、現在、未来の区別はありません。世界の成り立ちを天地創造の神話で伝え、そこに語られたことは今も掟として、知恵として受け継ぎ、生きているのです。天地創造の時代(ドリームタイム)には、自然界のすべてがひとつの存在から生まれ、そのエネルギーを分け合ったと信じています。だから人間は自然界のすべてとつながっていると考えるのです。さらに、彼らには一人ひとりにとっての特別な場所があり、特別な動植物を持っていました。その場所や動植物とはスピリッツ(魂)を共有して強いつながり(トーテム)を持っていると信じられています。このため、自分のトーテムがヘビの人は一生ヘビを食べることは許されませんでした。そうすることで、動植物の乱獲を防いだと専門家は指摘しており、これも大自然の中で生き抜くために受け継いだ知恵なのかもしれません。

(このページの写真提供:オーストラリア政府観光局)
主な参考文献
アボリジニで読むオーストラリア (著/青山晴美 明石書店 2008年)
新版 オセアニアを知る事典  (監修/百々佑利子 平凡社 2010年)
大人が旅するオーストラリア (監修/菊間潤吾 新潮社 2005年)
オーストラリア政府観光局各州政府観光局の公式サイト