2014年9月12日更新

マンハッタン島、歴史と文学散歩(前編)

ニューヨーク市マンハッタン島は歩くほどに、新たな発見と楽しい驚きに出会えます。角を曲がれば、そこは小説や映画の舞台だったり、有名な建築物だったり。目的地を決めず、歩く地区だけを決めて気ままに散策したり、数々の美術館を巡ったり。観光に疲れたら公園やカフェでひと休み。写真を撮ったり、スケッチをしたり。地元の人々の足であるフェリーや水上バスからマンハッタンを眺めれば、新たな魅力発見につながるでしょう。今月は、歴史と文学をテーマにマンハッタン島街歩きをご紹介します。
 
マンハッタンの南端バッテリーパーク
ニューヨーク市発祥の地、 ローワー・マンハッタン  

街歩きはローワー・マンハッタンから始めましょう。ここがニューヨーク市発祥の地です。ニューヨーク市の歴史は1609年にオランダに雇われたイギリス人探検家ヘンリー・ハドソンがマンハッタン島に上陸したことから始まります。その5年後にはオランダ人がこの地に入植を始め、24年にはオランダ西インド会社がマンハッタン島に植民地(ニュー・アムステルダム)を建設しました。彼らは家を建て、現在のバッテリーパークの一部に砦(フォート・アムステルダム)を築き、交易所を建設。先住民らと毛皮の売買を始めたといいます。  

26年にはピーター・ミニュイット総督が先住民をだますような形で、マンハッタン島をわずか60ギルダーというタダ同然の値段で買い取りました。当時の人口は約270人(1628年)。やがて彼らは、先住民やイギリス人らの攻撃を防ぐため、町の北端に長さ約714メートルの東西にわたる石壁(ウォール)を築きました。世界の金融地区ウォール街に行くと、「Wall Street」と記載された標識が目に入ります。この通りこそ17世紀半ばに築かれた石壁があった場所です。  

マンハッタン島の北から最南端まで走る1本の大きな通りが、ブロードウェイです。碁盤の目のように街路が整備されているマンハッタン島ですが、ミッドタウンの地図を見ると、ブロードウェイは北西から南東へと斜めにタスキ掛けしたように走っているのがわかります。実はこの通り、ヨーロッパ人が入植する以前から島で暮らしていた先住民アルゴンキン語族の人々が狩りのために使っていた道を広げたものだといいます。  

このブロードウェイの南端にあるのがボーリンググリーンと呼ばれる公園で、1733年にニューヨーク最古の公共の公園として整備されました。公園の北側には有名な牛の銅像チャージング・ブルが堂々とした姿を見せています。ここでの記念撮影は、世界各国から訪れた観光客のお決まりです。ブル像からブロードウェイを北へ数ブロックも歩くと、通りを挟んで東側にウォールストリート、西側に17世紀末にその起源を持つトリニティ教会があります。この辺りから北西の方へと、気ままに歩くと、グランドゼロ(911メモリアル)に行き当たるでしょう。
 
2009年にオープンしたハイライン公園   
 ©NYC & Company
大人気ハイラインと O・ヘンリーが愛した町  

ローワー・マンハッタンの西側におしゃれなミートパッキング地区があります。かつて製肉工場や倉庫が立ち並んでいたエリアで、19世紀後半には人口急増のため、全米各地から食料品が輸送されてきたことで、周辺の交通量が激増。このため、10番街は交通事故が後を絶たず、「死の通り(Death Avenue)」と呼ばれるほどでした。そこで、高架の貨物鉄道敷設計画が持ち上がり、1934年に開通を果たしました。

しかし60年代に入ると、貨物輸送がトラックへとシフトしたことなどから、80年に廃線となりました。2009年、放置されていた高架線路が保存され、公園としてその一部が一般公開されました。現在、10番街辺りの1・6キロメートルの公園ハイラインがオープン
300種以上の草花や低木を中心とした木々が育つ、くつろぎの空間となりました。2014年にも公園はさらに北へ延伸する予定だそうです。エレベーターがガンズヴォートストリートと14丁目、30丁目に設置されていますので、階段が苦手でも安心です。ハイラインを歩けば、異なる目線でマンハッタンの町を楽しめます。
 
近年の人気エリアのひとつ、ミートパッキン
 グ地区
ミートパッキング地区に隣接するウェストビレッジ。赤レンガの建物が並ぶ雰囲気のよい住宅街です。ここにタウンハウスが並ぶグローブ・コートという名の住宅群があります。短編小説の名手O・ヘンリー(本名ウィリアム・シドニー・ポーター)が、グローブ・コートからインスピレーションを得て書いた作品が、病床の少女のために老画家が壁に葉を一枚描くという名作『最後の一葉』でした。  

ヘンリーがニューヨークにやってきたのは1902年。ニューヨーク・ワールド紙と1編100ドルの契約を結び、O・ヘンリーのペンネームで数々の短編小説を世に送り出しました。チェルシーやグラマシーなども含めた周辺地区を精力的に歩き取材をしたといいます。

14〜17丁目のユニオン・スクエアの東側、アーヴィング・プレイスの55番地のアパートにヘンリーは暮らしていました。18丁目との角にある酒場ピーツ・タバーン(Pete’s Tavern)は、ヘンリーお気に入りの店。ここで、夫婦がクリスマスのプレゼントに自分が大切にしているものを売って、愛する夫または妻に時計の鎖とくしをプレゼントし合う『賢者の贈り物』を執筆したともいわれています。(後編に続く)

後編はこちらから
 

主な参考文献
ニューヨークを読む(著/上岡信雄 中央公論新社 2004年)
ニューヨーク文学散歩
 (著/スーザン・エドミストン リンダ・D.シリノ 訳/刈田元司 朝日イブニングニュース 1979年)

あめりか物語(著/永井荷風 岩波書店1952年)