2014年8月22日更新

太陽の国メキシコ、先住民族の色彩を求めて(後編)

フリーダ・カーロ(中央)とディエゴ・リベラ(右)
前編はこちらから

ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロ  

壁画運動を主導した巨匠ディエゴ・リベラの3番目の妻は、22歳年下のフリーダ・カーロでした。壁画運動の時代に活躍した、メキシコを代表するシュルレアリスムの女流画家です。フリーダは、メキシコシティで、ドイツ移民でハンガリー系ユダヤ人の父と、メキシコ南部のオアハカ州出身で先住民とスペイン人の混血だった母の3人目の子どもとして生まれました。フリーダは母から受け継いだ先住民の血をとても誇りとしていたといいます。自画像や残されている写真には、民族衣装や伝統的なアクセサリーを身に着けたフリーダの姿が数多く残されています。
 

フリーダは快活で、美しく、頭の回転の速い女性でした。しかし、彼女の人生は苦痛と苦悩に満ちたものでした。6歳で小児まひとなり、日本の大学にあたる国立予科高等学校時代には交通事故で生死の境をさまよい、生涯にわたり手術を数十回も受けるなど、その後遺症に一生苦しみました。ディエゴと結婚後も、彼のたび重なる浮気や夫と実妹との密通に苦しみ、フリーダ自身も芸術家イサム・ノグチやロシア革命の指導者トロツキーとの不倫といった問題を抱えていました。ディエゴとは一度離婚し、その後また再婚しています。

フリーダ・カーロは、心身の苦痛と苦悩を、メキシコの民衆に伝統的に伝わるレタブロ(奉納絵)という手法を用いて描きました。レタブロの手法を用いることで、絵の精神性をさらに深め、「鮮やかな色彩と素朴で直線的な描法」はフリーダの内面の苦しみを際立たせていると専門家はいいます。メキシコシティのコヨアカン地区にあるフリーダ・カーロ博物館は、その壁の色から「青い家」と呼ばれています。フリーダはこの家で生まれ、最愛のディエゴと過ごし、そして47歳のときにこの家で亡くなりました。フリーダの数々の作品とともに、彼女が愛用した遺品の数々が残され、一般公開されています。
 

バロック建築の傑作、サント・ドミンゴ教会の外観
色彩溢れる先住民族の町オアハカ  

フリーダ・カーロの母の出身地であるオアハカ州は、同国でサポテカ族やミシュテカ族といった先住民の血を引く人口が最も多い地域です。太平洋に面した山がちな地域で、州都は標高1540メートルに位置するオアハカ(正式名オアハカ・デ・ファレス)です。15世紀末にアステカ王国の要塞が築かれたものの、1521年にはスペイン軍侵入でアステカ王国は滅亡。オアハカでもスペイン統治による植民都市の建設が始まりました。スペイン軍は、メキシコの地を征服するだけでなく、同時に精神面においても、キリスト教の布教を積極的に行うことで、先住民の意識と社会の変革を促し、スペイン化を図りました。
 

オアハカの歴史地区を歩くと、植民地時代の雰囲気を街角のいたるところで感じます。陽気な音楽が流れるソカロ(中央広場)を歩けば、1733年建造の緑の切り石で建てられたカテドラルとともに、植民地時代の建物を目にします。メキシコ風バロック建築の傑作で、金箔を施した装飾と豪華な宗教美術の数々に圧倒されるサント・ドミンゴ教会(17世紀建造)、オアハカの守護聖母像が祀られたラソレダー教会など、数々の教会が残されています。
 

サント・ドミンゴ教会の中は、豪華な装飾に彩られています
オアハカの最大の魅力は、スペイン植民地時代以前からこの地に暮らしていた先住民の伝統や文化が、スペイン植民地時代を経て、現在にも受け継がれ、それを体感できることです。市場で繰り広げられる人々の日常や、植民地時代のコロニアルな町並みを通して、そして市場で売られている印象的なメキシコの民芸品や民族衣装などを目にすることで、彼らの生活に今も息づく、スペイン文化と融合した伝統、文化、習慣を知ることができるはずです。
 

また、市街地にある市場では、伝統衣装や織物、刺繍、アレブリーヘス(木製のカラフルな動物の置物)などの民芸品、ゴールドや宝石をあしらったアクセサリーが売られ、見ているだけでも楽しくなります。町の周辺で毎週定期的に開かれるティアンギス(青空市)では、伝統衣装を着た人々の往来も多く、現地の人々の生活を垣間見られることでしょう。
 

モンテ・アルバンの古代遺跡  

オアハカ近郊の丘陵にあるモンテ・アルバンの古代遺跡は、オアハカ歴史地区とともに世界遺産に登録されています。サポテカ文化の遺跡、モンテ・アルバンは紀元前500年頃から、サポテカ族が標高2000メートルの丘陵の頂上部に築いたとされる宗教都市遺跡で、紀元後4〜8世紀頃にその最盛期を迎えたと考えられています。広場を挟んで南北に位置する大基壇、宮殿、天文台、豊穣を願う宗教儀式が行われたという球戯場などが発掘されました。宗教儀式として行われた球戯では、勝利した者が神に最も近い存在とされ、生贄にされたといいます。
 

この遺跡の中でも最初期に建造されたと考えられるのが、ピラミッド型の神殿で、壁面には「踊る人」の石彫りが施されています。飛び出す内臓、苦痛に歪んだ表情の人々の描写は、拷問を受けた捕虜の姿、死体の描写、あるいは外科手術の記録などと、様々に推察されています。また、土偶や石版など数々の遺物も発掘されており、石彫りや出土品は考古学的価値の高い遺跡となっています。


主な参考文献
メキシコ壁画運動 リベラ、オロスコ、シケイロス(著/加藤薫 平凡社  1988年)
フリーダ・カーロとディエゴ・リベラ(著/堀尾真紀子 ランダムハウス講談社 2009年)
物語 メキシコの歴史(著/大垣貴志郎 中央公論新社 2008年)