2018年12月20日更新

カルピスをつくった男 三島海雲

モンゴルの遊牧民の暮らしから生まれた国民的飲料

子どもの頃、家に届いたお中元がカルピスだとうれしかったものでした。夏休み、遊び疲れた子どもたちがカルピスを飲む光景は、日本の夏の風物詩と言っても大げさではないと思うのです。表題を目にし、そういえばカルピスがいつ、どうやって誕生したのか、だれがつくったのか知らなかったな、と思い手に取りました。

本書の主人公は、カルピスの開発者であり創業者の三島海雲。彼の人生は、明治から昭和にかけての激動の日本史を体現するような、波乱に富んだものでした。ノンフィクションライターである筆者は、海雲のスケールの大きな生き様に惹かれ、彼の足跡を追って日本、そして大陸へと足を運び、当時を知る人々に取材を重ねます。

三島海雲は浄土真宗の寺院の長男として生まれ、西本願寺の文学寮で学僧として学ぶも寺は継がず、1902年23歳のときに日本語教師として中国に赴任。大陸へと渡った後、雑貨などを売買する行商会社を立ち上げ、日本陸軍から軍馬の買い付けを依頼されたり、モンゴル王公から銃の仕入れを頼まれたりと、中国とモンゴル高原を行き来し、様々な事業を手がけます。しかし1912年に清朝が滅び、中国大陸の状況が激変し、すべてを手放し帰国することに。無一文となった海雲は、モンゴル滞在中に食した遊牧民の乳製品「ジョウヒ」のおかげでお腹の調子がよくなった経験から、乳酸菌を利用した商品開発に着手。試行錯誤の結果誕生したカルピスは、瞬く間に全国に広まり、大人気を博したのでした。

本書の前半で語られる大陸時代は、まさにアジア全体が激動した時代。海雲が旅立った1902年は西本願寺による大プロジェクト、大谷探検隊の第一次隊が出発した年でもあり、海雲の同窓生たちも探検隊に名を連ねています。若者たちが志を掲げて大陸を目指した、時代の空気と熱を感じずにはいられません。 モンゴルの遊牧民の暮らしから生まれたカルピス。カルピス社によると、日本人の99.7パーセントがカルピスを飲んだことがあるのだとか。カルピスが初めて発売されたのは1919年。まもなく100周年を迎えます。


『カルピスをつくった男 三島海雲 著/山川 徹 小学館 1600円+税