帰着しました。添乗員レポート

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2020年11月04日

邪馬台国の謎に迫る 古事記と日本の古代史探訪の旅

2020年9月25日~10月2日 8日間 添乗員:東京支店 中屋 雅之

桜井市は「卑弥呼の里」を自称

このツアーは、そのタイトルどおり、弥生時代から大和政権、奈良時代に至るまでの日本の古代史を辿り、とくに邪馬台国と空白の4世紀について考察します。ツアーは三重県の伊勢に始まり、奈良の橿原、大阪の古市・百舌鳥古墳群を経由して出雲。そして最後は九州の福岡と巡る壮大な旅です。その途中で、邪馬台国に関係する様々な遺跡や古墳などを見学します

邪馬台国はどこにあったのでしょうか?
畿内説・九州説

邪馬台国については日本史における最大の謎でもあるのですが、大きく分けると「畿内説」と「九州説」に分かれ、それぞれに論拠があります。「畿内説」では邪馬台国が発展して大和朝廷になったと考えられています。その女王卑弥呼が亡くなった頃に作られた巨大な前方後円墳、「箸墓(はしはか)古墳」があり、その被葬者は宮内庁では第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)に治定されています。この人物こそが、卑弥呼なのでしょうか。

箸墓古墳の近くには弥生時代の集落跡「纏向遺跡(まきむくいせき)」が発見され、巨大な構築物の跡も見つかっています。これこそが邪馬台国の遺構なのかもしれません。

卑弥呼が亡くなった頃に建造された箸墓古墳

九州説では、魏志倭人伝に書かれている朝鮮半島から邪馬台国までの行程を辿ると九州のどこかにあったと考える方が説得力があます。また、佐賀県に位置する巨大な弥生時代の集落跡「吉野ケ里遺跡」こそが邪馬台国ではないかといわれています。

また、志賀島の金印や三角縁神獣鏡など大陸とのつながりを示すものが数多く見つかっています。

吉野ケ里遺跡 弥生時代の巨大な集落跡が邪馬台国ではなかったかという説も

邪馬台国はどこにあったのでしょうか
邪馬台国・出雲説

もうひとつ「邪馬台国・出雲説」もあります。出雲は大国主命やスサノオノミコトをはじめとする古い神話の国であり、この地域から数多くの銅剣、銅矛、銅鐸が発見されています。小学校の教科書にも書かれているとおり、弥生時代の銅鐸は出雲から近畿にかけて数多く出土し、また、銅剣・銅矛は出雲から九州にかけて出土しています。つまり、出雲の地は当時の日本の文化の中心地だったということが考えられます。

加茂岩倉遺跡で発見された銅鐸

さらになんといっても邪馬台国の女王卑弥呼が魏の国に使いを送り、銅鏡100西暦を授かったという記録が魏志倭人伝に記されていますが、その年、西暦239年(魏の国の景初3年)の年号が刻まれた銅鏡「三角縁神獣鏡」が出雲で発見されたということは、重要な証拠といえるでしょう。

卑弥呼の鏡」か、ともいわれる銅鏡

また、出雲市駅から歩いて10分たらずのところに「今市大念寺古墳」という全長92メートルにも及ぶ前方後円墳があります。日程には含まれていませんでしたが、ご希望の方はご案内いたしました。この古墳は珍しく、石室の中に入ることもでき、本物の石棺に触れることもできました。時代が少々ずれるところが難点ですが、これが卑弥呼の墓ではないかと想像を膨らませることができました。

今市大念寺古墳の石室

実際のところは邪馬台国はどこにあったのでしょうか。各地のガイドさんの情熱のこもった解説には引き込まれるものがあり、それぞれに説得力がありました。 旅行の後半、お客様にアンケートを取ると、10名中、畿内説を支持される方4名、九州説を支持される方3名、出雲説を支持される方3名と拮抗しながらも、やや畿 内説が有力でした。旅行の最後には添乗員中屋の私見を加えた「中屋説」も発表させていただきいました。

皆様はどのようにお考えでしょうか。実際にこの地方を巡ってみて、ご自身で考えていただくことも旅行の魅力ではないでしょうか。

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