2017年12月12日更新

複雑な歴史が築いたノスタルジー台湾

美食に旧跡巡りに街歩き……。いま日本人旅行者に大人気の台湾。 その知られざる激動の歩みを知っておくと、台湾への旅行はもっと有意義になります。 今回の旅のエッセンスは、世界でも最も複雑といわれる台湾の歴史をご紹介します。

 
古今が交錯する台北
2011年に発生した東日本大震災。未曽有の大震災に対し、真っ先に手を差し伸べてくれたのが台湾の人々でした。官民による緊急援助隊と救援物資、250億円を超える世界最大の民間義援金が日本に贈られました。訪日旅行が壊滅的に落ち込むなか、どの国よりも早く日本を訪れてくれたのも台湾の人々です。九州よりひと回り小さな島に約2300万人が暮らす台湾は、日本の欠かせないパートナー。台湾の歴史を理解することは、日本と台湾の人々がより深く交流することにもつながります。 台湾にオランダの城があった  台湾が歴史上の記録に登場するのは、7世紀に中国で書かれた『随書』が初めて。「琉求国は海島の中にある。建安郡の東にあたり、船で5日かかる」という文章が残されています。この琉求は日本の沖縄ではなく、台湾だと考えられています。一方で、『三国志』に出てくる「夷州」が台湾であれば3世紀には知られていたことになりますが、まだはっきりしないようです。 それから約千年を経て、台湾が世界史にその名を刻むのは16世紀のことでした。大航海時代、アジアまで進出してきたポルトガル人は、高い山々と草木が生い茂った台湾の島を見て、「イラ(島)・フォルモーサ(美しい)」と叫んだそうです。ポルトガルに続き、アジアに進出したオランダは、1602年に東インド会社を設立します。喜望峰からマゼラン海峡まで広大な貿易独占権を持ったオランダは中国沿岸にも貿易拠点を作ろうとしますが、うまくいかず、「タイオワン」と呼んでいた場所に城を築きます。このタイオワンは漢字で「大員」と書き、もともとは台南市の沖合いにある砂州のことを指していました。後にこの「大員」が「台員」や「台湾」と書かれるようになり、島全体の呼称へと変わっていったのです。
1624年、台南に移ってきたオランダ人は安平に住み、約20年かけて城を完成させます。これがゼーランディア城で、今日の安平古堡に面影を一部残しています。城には行政の中心である内城と防衛用の外城が含まれていました。当時、この城はオランダ人の台湾全島の統治と対外貿易の総拠点だったのです。 オランダ人が安平に上陸して2年後、フィリピンのルソン島を植民地にして中国や日本と貿易していたスペイン人も台湾東部に上陸。基隆にサンサルバドル城を建設したのち、1629年には淡水に入り、サンドミンゴ城を築きます。これは後の紅毛城で、ここから望む淡水の夕焼けは絶景です。なお、スペインはルソン島で混乱が発生したため、わずか10年で台湾から撤退。オランダはこのタイミングを逃さず淡水へ上陸します。現在公開されている城内は、資料展示が中心ですが、昔のままの暖炉や竈などを見ることもでき、当時の生活が偲ばれます。

江戸っ子にも愛された 台湾の英雄

オランダが台湾を支配していた時代、中国からの移住者も本格的に増え始めました。オランダが稲作や砂糖の栽培のために移住を奨励したからです。そんな時に現れたのが鄭成功です。
安平古堡
1644年、中国では北京が陥落し皇帝が自殺したことで明が滅亡。満州で建国された清が中国を支配するようになります。そこで明朝復興を掲げ、大陸反攻の足場として台湾を選んだのが鄭成功でした。1661年、オランダ人を追放した鄭成功はゼーランディア城を安平城と改称して改革や法律の整備を進め時運の挽回を図りますが、病のため翌年39歳の若さで世を去りました。 実は、鄭成功は日本でも高い人気を誇り、1775年に近松門左衛門の脚本で人気を博した浄瑠璃『国性爺合戦』の主人公は鄭成功がモデルとされています。鄭成功は中国人海商だった父と日本人の母との間に生まれ、幼いころは九州の平戸で過ごしていたからです。清に復讐し、明を復興させようという話は江戸初期の日本でも英雄視されました。実際に、鄭成功も何度か江戸幕府に応援を要請しています。

鄭氏政権の滅亡後、1684年には清による台湾統治が始まります。その後、日清戦争の結果台湾を日本に割譲するまでのおよそ200年間にわたり、福建省や広東省から多くの人々が移り住み、台湾の移民社会が次第にできあがっていきました。

懐かしの台湾初デパートが復活
(上)九份 (下)台南 ハヤシ百貨店
ご存じのとおり、台湾には日本統治時代の面影を残す景色も数多くあります。宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋の神隠し』のモデルともいわれる九份、そしてその南に位置し、かつて東アジア一といわれる金、銀、銅の産出を誇った金爪石も日本統治の時代に造られました。鉱山が閉鎖されて住民が村から去ったため、昔の家や施設が時代に取り残されたかのようにそのまま残ったものです。日本人観光客が九份を愛してやまないのは、大正時代から昭和初期の日本を彷彿とさせ、懐かしく感じるからでしょう。九份には台湾の人々も多く訪れており、台湾の原風景とは明らかに違う日本的な風景が、台湾の人々にもノスタルジーを感じさせています。

オランダとのゆかりが深い台南にも、日本とのゆかりを示す建物が数多くあります。そのひとつ、市内中心部、中正路と忠義路2段の交差点の南西角に建つひときわ異彩を放つ茶色の建物が、台湾島内で最初のデパート、ハヤシ百貨店です。

この建物が造られたのは1932年。山口県出身の事業家・林方一が建設し、台湾島内で初めてエレベーターが設置されたことでも知られています。当時は台南で最も高いモダンな建築として、「五層楼仔」(五階建て/ゴーツァンラウアー)の愛称で親しまれました。戦後、警察署などに使用された後、長年空ビルとなっていましたが、2014年に修復を経て新たなハヤシ百貨店としてリニューアルオープン。台南市民の歴史文化資産を重視する姿勢の象徴となっています。


主な参考文献
■『日本人に知ってほしい「台湾の歴史」』(古川勝三 創風社出版 2013年)
■『これならわかる台湾の歴史Q&A』(三橋広夫 大月書店 2012年)
■『旅名人ブックス 九份・淡水・桃園と台北近郊 歴史遺産の宝庫をめぐる』(邸景一、荻野純一、中島賢一、伊東ひさし、柳木昭信 日経BP出版センター 2008年)
■『台湾都市物語 台北・台中・台南・高雄』(王惠君、二村悟 河出書房新社 2010年)