丹巴に行けば、両方味わえる
ワールド航空サービスは、季節感という意味での「旬」のほかにも、観光客が大勢やってきて人々の暮らしぶりが変わったり、町並みが観光客目当てに化粧されたりする前の、旅先としての「旬」にもこだわって、これまでも多くの町をご紹介してきた。中国で私どもが注目している四川省の丹巴も、間違いなく旅するのにまさに「旬」と言えよう。ツアー発表を前に、ひと足先にこの村落を訪ねてきた。
成田発のフライトが1時間ほど遅れ、四川省の省都、成都に到着したのが16時半。ここから四輪駆動車で京昆高速を一路雅安までひた走り、さらに一般道に乗り換え、濾定に到着したのが23時少し前。視察ならではのハードスケジュールである。翌日、ホテルを朝6時半に出発し、今回の視察の目的地である丹巴を目指した。
丹巴周辺に点在する郷村は2005年、『中国国家地理』誌で、「中国の美しい村落ベスト6」の第1位に輝いた村であるものの、四川省には九寨溝や峨眉山といった横綱級の観光地があることから、国内外に紹介されることがほとんどなく、未だに訪れる観光客が少ない地である。また、四川省の新聞『天府早報』は10年ほど前、丹巴が古代から美女を輩出していたとのニュースを報道。この地に「美人谷」との艶やかな名が冠せられることになった。「山河は愛らしい、美人はずっと愛らしい。でも丹巴に行けば、この両方を味わうことができる」との声もあった。また、丹巴はかつて東女国の古都で、史書によると、西夏王朝が滅亡した際、皇帝の親族や王妃の多くが遠く離れた寧夏から山脈を横断し、峡谷の深い丹巴へ逃れてきたという。歴史学者の考証によると、東女国が出現したのは隋唐時代で、かなり強大な国家であったとされる。当時の父権社会とは対照的に、東女国、西女国はともに女権国家であり、母系社会の典型とされる。
桃源郷という表現がぴったり
最初に訪れた郷村は、丹巴の手前3キロほどにある埈披村。村全体を見渡すことができる小さな展望台で下車したのだが、気づくと山の斜面に沿って建てられた家々の写真を夢中で撮りまくっていた。展望台から見る印象はまさしく仙境の雰囲気。さらに山の斜面の下を流れる大渡河に架かる橋を渡り、15分ほど歩くと村に到着する。この村には石造りの古い望楼が70も残っているという。望楼は初め見張り塔として造られたが、その後は砦として使われたそうだ。単に石を積み上げているだけのように見えるが、古い望楼は400年以上も経っているという。それにしても、どの家も石造りで、立派な建物である。村人たちは日中、野菜、果物の畑仕事や家畜の世話などが日課だそうで、この村に住むお年寄りの中には、3キロ先の丹巴の町すら行ったことがなく、この村で一生を終える者も少なくないそうだ。
丹巴周辺に住むチベット民族は、ジャロンチベット族と呼ばれ、丹巴や四姑娘山周辺に住んでいる。彼らは海抜2000メートルほどの比較的低い山の斜面に住み、他のチベット民族に比べると、紫外線の影響が少なく、肌の色が白いのが特徴である。
昼食は、地元で人気のあるレストランを探そうということになり、10年前の美人コンテストで優勝した女性が働く、その名も「美人谷阿姆」を紹介された。とくに美味であったのは、3年間干した豚肉で、細かく刻んだ唐辛子と一緒にそのまま食べる料理。この地方独特の料理だそうである。
午後は周辺の郷村の中では最も大きな甲居村に向かう。大金川に沿って坂道を20分ほど上ると展望台に出る。緑いっぱいの山腹に石造りの民家が点々と建っており、ここも桃源郷という表現がぴったりである。ここから村を散策する。道端にはまだ花の残っている梨の木や山椒の木、またリンゴの花が見られ、足元にはかわいらしいリンドウの花も咲いていた。それにしてもなんと静かな村なのであろう。鳥のさえずり以外、何の音も聞こえない。一軒の民家を覗いてみた。玄関で初老の女性が温かく迎えてくれた。家の中まで案内してくれ、裸麦で作ったナンのようなパンや干しりんごでもてなしてくれたが、穏やかで親切な人であった。近い将来、国内外からの観光客が大勢訪れることがまず間違いない丹巴の村々。観光が一番の収入源にならないうちに旅したい、世界でも数少ない地であることは疑う余地がない。