ケネディが愛したホテルへ
1963年11月。NHKの白黒テレビが「臨時ニュースを申し上げます……」というアナウンサーの第一声とともに、ケネディ暗殺のシーンを動画で伝えた。当時、私は東京の下町で暮らす小学6年生。日本は翌年の東京オリンピックをひかえ、実に大きな変貌をダイナミックに遂げる、その真っただ中にあった。テキサス州ダラスをパレード中のオープンカーが狙撃され命中、撃たれたケネディを気丈にも抱きかかえようとするジャクリーン夫人の必死の姿が、乱れがちなアメリカからの初の衛星放送の映像の中にもはっきりと視認できた。
子どもながらにそのショックは大きく、少年の私が食い入るようにテレビにクギづけになっている様子を、昨日のことのように思い出すことができる。真犯人はいったい誰だったのか。「ベトナム戦争から兵を引き上げる」という決定を下したケネディ大統領を、「もはやこれ以上生かしておくわけには……」と考えた人がいたとしても、不思議ではない。真に悲劇的な最期を、しかしケネディは堂々と遂げた。そしてこの報道がテレビを通じて、世界を駆け巡ったこともあってか、ケネディは世界中の多くの人々から愛され、尊敬もされた。わずか2年10カ月という長くない在任期間ではあったが、あのスマートで、しかも温かく、英知に富み、そして力強く、何より46歳という若きプレジデントは、未だに多くの人々の心の中に生き続けているような気がしてならない。
そのケネディが愛したホテルがサンディエゴの「デル・コロナド」である。もちろんケネディを筆頭に12人もの合衆国大統領やマリリン・モンロー(1959年の『お熱いのがお好き』の撮影舞台にもなっている)、ベーブ・ルース、フランク・シナトラなどの当代きっての有名人たちが愛してやまなかったホテルだが、私にはケネディの存在がひときわである。極めて歴史的な匂いのする、高い天井を持つ木造建築のロビーに一歩足を踏み入れた瞬間、そこに笑みを浮かべ、取り巻きと談笑する地味なスーツ姿のケネディが立っているかのような錯覚を覚えたほどだ。
1888年の創業。約700室という大型ホテルなのに、すべて木造という、ほかでは出会ったことのない見事な大建築である。「圧巻」、「威容」という形容がふさわしい。120年という華やかな歴史とともに、様々な物語を秘めるデル・コロナド。サンディエゴには、最近完成したホテルも多く、すべて視察したが、この「デル・コロナド」を訪ねては、そのあまりのインパクトの強さ、大きさに、ほかの立派なホテルがすべて瞬く間に消し飛んでしまう。ワールド航空の旅好きの皆様には、この歴史的な名門ホテルにぜひお泊まりいただきたい。そしてお客様それぞれの物語をつくっていただきたいと、即決するに至った。
新発見の美しき町々 ジュリアンと サンホアン・カピストラーノ
今回の視察で狙っていた町が、2つあった。が、出発前の写真集で「よさそうだ」という程度で、ほとんど情報がない。現地のコーディネイター氏も知らないというが、とにかく訪ねてみよう、と車を飛ばした。まず、サンディエゴから一時間半ほどの小さな町「ジュリアン」。フリーウェイから田舎道を行くが、このルートが起伏に富みなかなか良い。そして、ジュリアンの町も、期待に十分応える、かわいらしくまたアメリカ西南部の開拓時代を彷彿とさせるこぢんまりとした町であった。「リンゴの里」として地元では有名で、アップルパイはジュリアンの名物になっている。おすすめパイを食べさせる店が、2、3軒あるが、いずれも木造の小さな小さな一軒家だ。ちょうど、10月12日(日)は、リンゴ祭りのさなかで、たいへんな賑わいであった。
もうひとつのサンホアン・カピストラーノでは、カリフォルニアにある21のミッション(教会)の中でも「ミッションの真珠」と呼ばれるほどの古いミッションが必見である。スペイン時代にタイムスリップしたような空間で、よく手入れされた花々が一年を通じて咲き誇るという。絵になるミッションである。メインストリートには、もう200年になるという木造の民家が残され、独特の雰囲気。そして、うれしいことに村の小さな駅は、サンディエゴとアムトラックで1時間少々で結ばれていることがわかった。早速タイムテーブルを調べてみると、ちょうどよい時間帯にアムトラックの運行を見つけることができて狂喜。サンディエゴの、これまたスペイン的な古風な駅舎を持つ「サンタフェ駅」からアムトラックでの鉄道の旅も、プログラムに組み込むことに決めた。さらに、このサンホアンの小さな教会のような駅舎が、そのままレストランを兼ねていて、これまたノスタルジックな雰囲気なので、ここでの軽いランチも予約することにした。
サンディエゴに海から迫る
天然の良港であるサンディエゴは、その地形から軍港としても好適であることがよくわかる。おもしろいプログラムとして、この軍港に米国海軍の現役の軍艦がずらりと並ぶのを船上から眺めるハーバーエクスカーションがある。これがなかなかの迫力で、もちろん軍艦だけでなく、港町サンディエゴのスカイスクレーパー群や、また対岸のコロナド島の対照的な落ち着いた様子を船上から眺める約2時間の船の旅として人気を集めている。
そのフィナーレは、空母ミッドウェイの重量感たっぷりの姿である。ミッドウェイは、1991年まで横須賀港に停泊していたので、我々日本人にとってもたいへん馴染み深い。善し悪しの評価は別にして、この巨艦に入艦して、しっかりと観光できるプログラムは、実におもしろい。日本語のガイドテープでわかりやすく、思い思いのペースで気兼ねなく見学できる。少なくとも90分は欲しいところだ。格納庫には歴代の艦載機が展示されているが、なかでも私が注目したのは、グラマンとファントムであった。とくにネイビーブルーのグラマンは、思っていた以上に大きい。宿敵ゼロファイター(零戦)の3倍ほどの胴体で、これには驚いた。むしろ零戦が日本のパイロットの高い腕前でよく対抗した、と誇らしい思いもした。
甲板の広さは、フットボールフィールドの3倍以上という説明に、「ほう」とため息である。そして内部の司令官の居住部の立派さと参謀室には、ここで様々なミッションの決定が下されたのか、と感慨深い。日本では、ちょっと考えられない極めてオープンなこんな姿勢が、アメリカという国なのか、とつくづく思い知らされる。退役したとはいえ、かつての主戦空母をここまで情報公開してよいのか、と思うほどである。
「引き潮」が聴こえてくるホテルを見つけた 最後の1泊は、ロサンゼルス空港まで約1時間の圏内で、と探し回ったが田舎町にはよいホテルがなく難航した。探し当てたのは、そろそろ日没近い時間で、ラグーナビーチのこの高級ホテルだったが、泊まってみて、すっかり気に入ってしまった。広い客室は、すべてがオーシャンフロントで、夕日に染まる太平洋は生涯の思い出になるにちがいない。
本来、1泊435ドル(室)のホテルだが、ねばり強い交渉の結果、曜日と時期限定でなんとか予算内で仕入れることができた。グループの特権である。料理のレベルも相当なもので、このホテルでのフェアウェルディナーもお楽しみいただけることと思う。これで、翌朝は8時の出発で十分帰国のフライトに間に合う。あまりのうれしさに、同行の現地コーディネイター氏とビールで思わず祝杯を上げてしまった。きっと皆様に喜んでいただける、という確信とともに。 |